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閻魔堂(流山市)

記事 NO.7921     彩2022 歴史散歩流山

2022年8月14日訪問
閻魔堂(流山市)


金子市之丞・三千歳墓所
江戸時代の閻魔像を祀る

流山市 閻魔堂

閻魔堂は 流山新選組本陣跡の隣りにある共同墓地です

流山市 閻魔堂

流山市 閻魔堂 説明板


金子市之丞(かねこいちのじょう)の墓
隣の墓は遊女三千歳(みちとせ)のもの

流山市 閻魔堂 金子市之丞墓所

金市は剣の腕が立ち 貧しい人にお金を配って歩くなど
庶民から慕われ 「かねいちさま」と呼ばれていました

流山市 閻魔堂 金子市之丞墓所 説明板

金子市之丞墓所

 金子市之丞は、言い伝えによると明和六年(1769)に流山の醸造家「金子屋」に生まれた。家運が傾き父は没したが、家業に励むことなく賭博に興じたため、母に勘当された。やがて母も没して家屋敷までもが人手に渡り、ついに盗賊に身を落とし「金市」と言われたという。大坂で捕えられ、文化十年(1813)十二月十六日に小塚原の刑場で獄門にされた。同十九日に上新宿村の某が首級を持ち帰り翌日に光明院に葬られたと言われている。
 盗賊などのを平安の六歌仙に見立てた講談「天保六花撰」に登場し明治十四年(1881)に初公演された歌舞伎「天衣粉上野初花」(くもにまごううえののはつはな)で人気を博した。物語では大店から盗んだ金品を貧しい人々にばらまいたこと事から、「ビン小僧の金市さま」などと呼ばれ、義賊としてこの墓石が建てられたようである。隣接する墓石は、同作で金市の愛人とされた花魁・三千歳の墓とされている。


流山市 閻魔堂 謎の石

境内の一角には供養された石仏があり
そのなかに謎の石がありました

流山市 閻魔堂 謎の石

謎の石は何かの供養塔かと思われますが
力石として利用されたかもしれません


閻魔堂に行く途中の
商工会議所第三駐車場にも謎の石がありました

流山市 商工会議所第三駐車場 謎の石

木の根元でよくみかける謎の石です

流山市 商工会議所第三駐車場 謎の石

木の根元にある大きな石は何でしょう
閻魔さまはご存じないのかな?





閻魔堂
閻魔堂 流山市流山2-116 2022-08-14

千葉県 流山市 流山2-116

撮影:2022年8月14日
カメラ:ニコン-Nikon D7500



日本再発見 流山散歩4
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俳句の日 小林一茶のゆかりの地を訪ねる

記事 NO.7920     彩2022 歴史散歩 小林一茶ゆかりの地

2022年8月14日訪問
光明院・一茶双樹記念館(流山市)


8月19日は「俳句の日」です!
新選組隊士分宿の寺から

流山市 光明院 2022-08-14

新選組が流山に陣を敷いたとき
隊士が分宿した寺です

流山市 光明院 小林一茶ゆかりの地

小林一茶ゆかりの寺でもあります

流山市 光明院 小林一茶ゆかりの地

昭和53年(1978)に高さ2mの双樹と一茶の連句碑が造られました

流山市 光明院 一茶と双樹の連句碑

豆引きや跡は月夜に任す也   双樹
烟らぬ家もうそ寒くして   一茶

文化元年(1804)9月1日
秋元双樹家で一茶と双樹が詠んだ連句の一つです

流山市 光明院 一茶と双樹の連句碑 説明板

五代目秋元三左衛門は 双樹と号して俳句をたしなみ
小林一茶と深い親交をもちました

▽本堂の右前にある双樹句碑

流山市 光明院 双樹の句碑

庭掃てそして昼寝と時鳥   双樹

流山市 光明院 双樹の句碑 説明板


▽隣接する赤城神社にある一茶の句碑

流山市 赤城神社 一茶の句碑

読めますか?

流山市 赤城神社 一茶の句碑

越後節蔵に聞こえて秋の雨   一茶


▽光明院のすぐ北ある一茶双樹記念館

流山市 一茶双樹記念館

一茶は双樹のもとを 生涯50回以上も訪れています

流山市 一茶双樹記念館 説明板

庭園内の句碑には
一茶のふるさとである長野県信濃町の黒姫山の石を用い
一茶が流山で詠んだ句のひとつが刻まれています

流山市 一茶双樹記念館 一茶の句碑

夕月や流残りのきりぎりす   一茶

流山市 一茶双樹記念館 一茶の句碑 説明板





『ちば見聞録』#015「一茶と双樹」

(2014.7.12)【チバテレ公式】






光明院
流山市 光明院 2022-08-14

一茶双樹記念館
流山市 一茶双樹記念館 2022-08-14


千葉県 流山市

撮影:2022年8月14日
カメラ:ニコン-Nikon D7500



日本再発見 流山散歩3
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流山の史跡 新選組流山本陣跡

記事 NO.7919     彩2022 歴史散歩 幕末の話題

2022年8月14日訪問
近藤勇陣屋跡(流山市)


新選組陣屋跡
近藤勇と土方歳三の今生の別れの場所

千葉県流山市 飛地山

流山駅の奥(東口)に流山市役所が見えます
かつて飛地山であったところです

流山市 新撰組別働隊陣跡(飛地山)

高台は現在 切り崩され
市役所となり 南側は宅地開発が行われようとしています

この高台は戊辰戦争の時に
新政府軍が新選組本陣に向けて大砲を設置したところ
新選組の歩兵隊が その新政府軍に向けて大砲を撃ったところ
と いわれています


ここから 新選組陣屋跡に向かいます
東口と西口を結ぶ歩道橋の西口の南側を下り

一方通行の道を西へ1分ほど進むと

▽案内板があります
流山市 新選組陣屋跡 案内

流山市 新選組陣屋跡 説明

さらに西へ2分ほど進むと

流山市 閻魔堂横丁 近藤勇陣屋跡

近藤勇陣屋跡があります

流山市 近藤勇陣屋跡説明板

3月中旬に永倉新八や原田佐之助らが脱退し
六十余名となった新選組は
五兵衛新田(足立区西綾瀬)の金子邸に屯集

流山市 近藤勇陣屋跡(酒造家長岡屋)

歩兵などを取り込み下総鎮撫隊を組織して
4月1日夜に二百数十名が流山へ転陣してきました

流山市 近藤勇陣屋跡説明 石碑

近藤勇陣屋跡

 文久三年春以来京師にあって勇名を馳せた新撰組は慶応四年正月鳥羽 伏見の一戦に敗れて江戸に帰り新たに甲陽鎮撫隊を結成、同三月甲州路勝沼に出陣して官軍と交戦、これまた敗れて総州流山に再挙をはかった。
 当時の流山は水陸交通の要衝 醸造業の地として知られ、各種問屋、船宿、旅籠等軒をつらね本多氏下総領管理の「加村役所」も加村台にあってその繁栄は近隣に比すべきものがなかった。ために 江戸を脱出した幕兵のこの地を慕って屯集する者、また数を知らなかった。
 甲陽鎮撫隊は三月二十日ごろ流山に入り、酒造家長岡屋(当所)を本陣とした。日増しに傘下に加わる同志隊員を諸家に分宿させ、旬日にしてすでに一大勢力となっていた模様である。
 一方、官軍においては、その東山道軍先鋒隊の一部が結城方面の鎮圧に向かう途次、この風聞を耳にした。直ちに香川敬三指揮する一隊流山に来攻、策を以て隊長近藤勇(大久保大和と変名)を誘い 縛に就かした。時に慶応四年四月三日の夕刻である。
 一説に、近藤は、兵災の郷民に及ぶことを憂い、みずから敵手に身をゆだねて 決戦を避けたという。
 老松古椎に往時を偲んでここに遺跡の石碑を建てる。
     昭和五十一年三月   流山市観光協会

新選組流山本陣跡 近藤 土方 離別の地

「丹後の渡し」から流山に入った下総鎮撫隊は
醸造家の永岡三郎兵衛方を本陣とし
光明院などに分宿しました

情報を得た新政府軍が3日に「羽口の渡し」から急襲し
銃撃を交えたが本陣は包囲されました

20飛地山 流山本陣 

大久保は出頭して「矢河原(やっから)の渡し」から流山を去り
事情説明のため越谷宿(埼玉県越谷市)に赴きましたが
新政府軍により板橋宿へ連行されました

流山市 近藤勇陣屋跡(酒造家長岡屋)

土方は江戸で勝海舟らに救出工作を試みましたが
近藤は4月25日に板橋宿で処刑 梟首されました

この場所は 新撰組
局長 近藤勇  副長 土方歳三
別離の地として 現在に歴史を伝えています



近藤勇陣屋跡の敷地内には
近藤勇 土方歳三らが戦勝祈願をしたと伝わる
秋元稲荷大明神が鎮座しています

秋元稲荷大明神


秋元稲荷大明神 説明板

秋元稲荷大明神

徳川十一代家斉将軍在位時代 享和二年(一八〇二)八月 天領地に京都伏見稲荷大社より分社建立

慶応四年(一八六八)四月二日当時の酒造業永岡屋を本陣とし新選組が到着陣立ての際近藤勇 土方歳三らが戦勝祈願をしたと伝わる

 平成二十四年三月二十日  当主 秋元浩司





流山市 近藤勇陣屋跡
近藤勇陣屋跡 流山市2022-08-14

千葉県 流山市

撮影:2022年8月14日
カメラ:ニコン-Nikon D7500



日本再発見 流山散歩2
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テーマ : 千葉県
ジャンル : 地域情報

投票に行こう

記事 NO.7899     彩2022 棄権することなく投票しましょう

投票日2022年7月10日

投票済証をもらいに行こう!

第26回参議院議員通常選挙


第26回参議院議員通常選挙


投票をして出口で声をかければもらえます

高値の付く「投票済証」がもらえるかも?
メルカリ投票済証 の検索結果



第26回参議院議員通常選挙
第26回参議院議員通常選挙
投票日 710(日)

撮影:2022年6月19日
カメラ:ニコン-Nikon D7500

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あじさいと一等三角点

記事 NO.7895     彩2022 貴重な文化遺産

2022年6月21日訪問
東福寺(所沢市)
崖の上の四角い石
90kgの石

所沢市本郷 東福寺 南無三十六童子

不動堂裏手 三十六童子のある崖を上っていくと

所沢市本郷 東福寺 三十六童子供養塔

三十六童子供養塔があり

所沢市本郷 東福寺 三十六童子

さらに上っていくと平坦なところに出ます

所沢市本郷の一等三角点

あじさいが満開です

所沢市本郷の一等三角点

畑の中に何かがあります

所沢市本郷の一等三角点

一等三角点です

所沢市本郷 一等三角点

一等三角点「本郷」
緯度  35度47分35秒
経度 139度31分16秒
標高  57.4m

所沢市本郷の一等三角点

全国の三角測量は、約四〇km間隔で一等三角点を設置し一等三角網を完成させました。次に一等三角点を含めて約八km間隔に二等三角点、次に二等三角点を含めて約四km間隔に三等三角点、更に以上を含めて約二km間隔に四等三角点を設置して測量が行なわれました。この測量により、経度・緯度・標高が正確に測定されました。一等三角点は、全国に約千ヶ所、埼玉県内には十ヶ所設置されています。


所沢市本郷の一等三角点

一等三角測量は、明治一六年(一八八三年)日本全国をおおう基本図(五万分の一地形図)を作成する目的で始められました。大正二年(一九一三年)測量が完了し、大正一三年全国の五万分の一地形図の整備が完了しました。一等三角点は、三角網の骨格としてほぼ四〇km間隔に山の頂上付近や見晴らしの良い所に設置されました。一等三角点は、電子基準が整備される中で文化遺産と言える存在です。


所沢市本郷の一等三角点

経度・緯度の基準になるのが「三角点」
高さの基準になるのが「水準点」です


出会うことの少ない「一等三角点」
一生のうちで いくつの「一等三角点」に出会えるかな?





東福寺裏 崖の上の一等三角点
所沢市本郷の一等三角点

埼玉県所沢市本郷

撮影:2022年6月21日
カメラ:ニコン-Nikon D7500

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志木新河岸川あじさいロードと力石

記事 NO.7891     彩2022 花と石めぐり

2022年6月21日訪問
本町2丁目(志木市)
志木新河岸川あじさいロード
今が見ごろ 紫陽花と力石

志木新河岸川あじさいロード

宮戸橋からのんびり紫陽花鑑賞です

志木新河岸川あじさいロード

江戸時代舟運で賑わった新河岸川の土手沿いに
あじさいが見事に咲き誇っています 超穴場!

志木新河岸川あじさいロード

富士下橋(あか橋)が見えてきました

志木新河岸川あじさいロード 2022-06-21

あじさいロードを離れて左に折れると

敷島神社 田子山富士塚へ

その先は
敷島神社と田子山富士塚です

田子山富士塚 御胎内

富士塚の裏側に出てきました

田子山富士塚 御胎内入口

御胎内が入口があります 穴場!

田子山富士塚 御胎内説明板

説明板を読んでから
左に折れて境内に入ります

田子山富士塚

国指定重要有形民俗文化財
志木の田子山富士塚です

図解 志木の田子山富士塚

圧巻の富士塚です

敷島神社

御神木の根元には 悪疫退散

志木市 敷島神社の力石

そして力石

志木市 敷島神社の力石説明板

力石 二十四貫目
敷島神社

神寺の境内で卵形の大きな玉石をよく見かけるがこれは力石と言われるもので、昔の若者が心身の鍛錬を兼ねて力を試してみたり、村の祭礼や年中行事などの呼び物として力技を競うために使った物です。現代の重量挙げのバーベルに相当する物です。

志木市 敷島神社の力石

やっぱり 〆は力石です






志木新河岸川あじさいロード
志木新河岸川あじさいロード 2022-06-21

敷島神社
志木市 敷島神社 2022-06-21

埼玉県 志木市 本町2丁目

撮影:2022年6月21日
カメラ:ニコン-Nikon D7500

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テーマ : 埼玉県を散歩
ジャンル : 地域情報

江戸時代から続く農村行事

記事 NO.7671     彩2021 江戸時代から2021年へ

埼玉県越谷市
再掲
北川崎の虫追い
毎年7月24日 今年は230年目

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虫追いは 川崎神社で毎年7月24日に行われます

令和3年度の「北川崎の虫追い」は
新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため
神社関係者のみでの小規模開催となります

一般の方の参加・見学はできません

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「北川崎の虫追い」埼玉県越谷市新方地区に
江戸時代から続く農家の伝統行事です

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例年19時に川崎神社を出発します

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麦わらを束ねた長さ3メートルほどの大きなたいまつに火を灯し

「くすのき荘」の橋のたもとまで
約2kmの道を松明を持って歩きます

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田んぼのあぜ道を行進しながら
稲につく害虫を追い払い 豊作を祈願します

鉦や太鼓を鳴らしながら
「稲の虫 ホーイホイ」と声を合わせて行進します

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平成20年3月に
埼玉県の無形民俗文化財に指定されました




 越谷市の新方地区では、江戸時代より「虫追い」の行事が続けられています。
 この地域における虫追いは、寛政3年(1791)の夏、天候不順により稲に沢山の虫がついたため、虫を火に引き寄せ追い払うために、麦わらで作った「たいまつ」を燃やしながら田畑を回って歩いたところ、虫がいなくなりその年は豊作になりました。翌年から年に一度、年中行事として虫追いが行われるようになりました。

 毎年7月24日の夜、鉦や太鼓を打ち鳴らし、「たいまつ」に火をともし、「稲の虫、ホーイホーイ」と豊作を祈って田んぼ道を練り歩く行事です。

 「虫追い」は埼玉県内各地で行われていましたが、火災などの心配から県内ではここだけになってしまいました。




埼玉県 越谷市 北川崎107  /川崎神社周辺
撮影:2011年7月24日

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歴史散歩江戸時代 越谷を歩く
(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010

テーマ : 日本文化
ジャンル : 学問・文化・芸術

見世物小屋の様子

記事 NO.7669     彩2021 盛り場の見世物

江戸時代の娯楽2

見世物いろいろ
庶民の楽しみ

無筆節用似字尽 17 珍物小屋 寛政9
「無筆節用似字尽」 (寛政9年 1797刊) 

見世物小屋の木戸口
中では奇形の鳥や動物を見せています

「火のねずみ」って何だろう?
入りたくなってしまいます

無筆節用似字尽 19 珍物小屋 天保10
「無筆節用似字尽」 (天保10年 1839刊)


見世物小屋に入ると
まず口上が述べられます

▽蝙蝠の軽業
「こうもりのかるわざ」
玉磨青砥錢21 寛政2
「玉磨青砥錢」 (寛政2年 1790刊)

口上が終わると
見世物の始まりです


籠抜け 綱渡り 曲馬 手品
曲独楽 力持ち 籠細工 からくり 珍物など
さまざまな見世物の中から二つ紹介します

▽女の力持ちの見世物

這奇的見世物語 6 女の力持ちの見世物
「這奇的見世物語」 (寛政13年 1801刊)


▽軽業の見世物

這奇的見世物語 9 かるわざ
「這奇的見世物語」 (寛政13年 1801刊)


盛り場には各種の見世物小屋が点在し
人々を夢中にさせました


まともな武士や
町人でも体面を気にする人は
見に行かなかったようです




(画像は国立国会図書館ウェブサイトより)

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歴史散歩江戸時代 古典を歩く
(C)heihei's studio 2010
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テーマ : 日本文化
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四条河原は京都の盛り場

記事 NO.7668     彩2021 熱い夏がやってきた

江戸時代の娯楽

四絛河原夕涼
夏の楽しみ

京都名所之内 四条河原夕涼 広重
(京都名所之内 四条河原夕涼)

△広重の作品です
河原で夕涼み 贅沢ですね


江戸時代の人々の娯楽について
「都名所図会」(天明6年 1786刊)をみてみましょう
四條河原の夕涼み1


四条河原夕涼は六月七日より始まり、同十八日に終る。東西の青楼よりは川辺に床を設け、灯(ともしび)は星のごとく、河原には床几をつらねて流光に宴を催し、濃紫の帽子は河風に翩翻として、色よき美少年の月の明きにおもはゆく、かざす扇のなまめきてみやびやかなれば、心もいとどきそひてめかれせず、そぞろなるに、妓婦の今を盛りといろはえて、芙蓉も及ばざる粧ひ、蘭麝のこまやかに薫り、南へ行き北へ行き、淹茶(だしちゃ)の店に休らふては山吹の花香に酔を醒まし、香煎には鴨川の流れを汲んで京の水の軽みを賞し、かる口咄は晋の郭象にも勝れて懸河に水を注ぐがごとし。物真似は函谷関にもおとらぬかや。猿狂言・犬の相撲・曲馬・曲枕・麒麟の綱渡りは鞦韆(しゅうせん)の俤にして、哨吶(ちゃるめら)の声かまびすく、心太の店には滝水滔々と流れて暑さを避け、硝子(びいどろざいく)の音は珊々と谺して涼風をまねく。和漢の名鳥、深山の猛獣もここに集めて観(みせもの)とし、貴賎群をなして川辺に遊宴するも、御祓(みそぎ)川の例にして、小蝿なす神を退散し、牛頭天皇の蘇民将来に教へたまふ夏ばらへの遺法なるべし(以下略) 

猿の狂言 犬の相撲 曲馬 曲枕
麒麟の綱渡り 名鳥 猛獣の見世物

怪しいものもありそうですが 楽しそうです


次の頁には四條河原の絵が載っています
見世物小屋がたくさん出ています
四條河原の夕涼2
(都名所図会 四絛河原夕涼之躰)

虫眼鏡で見てみると
「江戸」「早嵜」の幟があります
四條河原 江戸

「あやつり」も確認できます
四條河原あやつり

「きよくもち」もあります
四條河原きょくもち
重い物や人を手・足・肩・腹などで持ち上げ
それを操って見せる曲芸です
力石も持ち上げたことでしょう

客寄せをする人や
小屋の造りなどがよくわかります



最後に 五雲亭貞秀と貞秀の作品
「皇都祇園祭礼四條河原之涼」を紹介します

これも四条河原の様子が細かく描かれています
人々の息づかいまで伝わってくるような絵です
3枚でひとつの絵になっています
皇都祇園祭礼四條河原之涼
(皇都祇園祭礼四條河原之涼)

左の絵には
見世物の様子が描かれています
皇都祇園祭礼四條河原之涼2

中央付近を少し大きくしてみてみましょう

皇都祇園祭礼四條河原之涼3

ハナシカ マメゾウ コウシヤク 見世物
盛り場の様子 娯楽の様子がよく分かります



このような絵から江戸時代の人々の
娯楽の様子を想像してみるのも楽しいですね

(画像は国立国会図書館ウェブサイトより)

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プロフィール

へいへい

Author:へいへい

開​設日​: ​20​06​/3​/2​5(​土)​

ヤフーブログから引っ越してきました。(2019/3/7)


四季折々美しい彩の国。見沼田んぼの自然や、埼玉県内及び周辺の観光地・穴場スポット・力石を紹介します。


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