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県指定 旧跡 寿能城跡

記事 NO.7534   彩2021 岩槻城の支城

2021年2月10日訪問
寿能城跡 (さいたま市)

寿能城址
県指定旧跡

寿能城跡 正面

寿能城は 永禄3年(1560年) 岩槻城の支城として
東 南 北面を見沼に面した自然の要害で守られた平山城として築かれ
太田三楽斎資正の第四子
潮田出羽守資忠の居城であったといわれています

潮田出羽守源資忠之墓

寿能公園のある場所は
かつて寿能城の本丸があった場所で
墓碑のある塚が物見櫓の跡と伝えらています

寿能城跡 石碑

寿能城跡

ここは寿能城本丸の跡と伝える 寿能城は潮田出羽守資忠の居城である 資忠は岩槻白鶴城主太田資正の第四子で 母方潮田家をつぎ 永禄3年(1560年)ここに築城 大官 浦和 木崎等を所領とした 城地は東西約873メートル 南北約436メートルあり 見沼の沼沢をめぐらした要害で 東方に突出した小高い所を出丸と呼び 今も寿能という小字名を残している 資忠は小田原の北条氏に属し 天正18年(1590年)長子資勝とともに小田原にろう城し奮戦したが 4月18日父子ともに討死し 家臣北沢宮内等が守備した当城も同年6月豊臣勢の火にかかって落城した 墓石は資忠の没後50年の命日に6代の子孫潮田勘右衛門資方が 弟資教にしるさせたものである 大正15年県史跡に指定されたが 太平洋戦争中 高射砲陣地として雑木林は開墾され 今また 新市街を現出するに至り その一部を市の小公園として永く保存することとなった

   昭和33年4月18日  大宮市教育委員会これを建てる


寿能城跡 斜めから

天正18年(1590年)
豊臣秀吉の小田原攻めの際
豊臣勢の火にかかって落城しました

寿能城 説明板
 県指定旧跡
寿能城跡 昭和37年10月1日指定

 寿能城は戦国時代の城で、岩槻太田氏に敵対していた北条氏、特に川越城への備えのために、岩槻城の支城として永禄3年(1560)頃築かれたといわれています。
 その立地は、かつての見沼が三方を囲み、自然の要害地でした。ここ寿能公園一帯がかつての本丸跡で、墓碑の立っている塚は物見櫓の跡とも言われています。見沼代用水路西縁を挟んで、東南の方角には見沼に飛び出る形で出丸もありました。
 岩槻の太田資正の子でもある潮田出羽守資忠の居城といわれていますが、天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めの際に、豊臣勢の攻撃で落城しました。

   平成24年3月   さいたま市教育委員会


寿能公園

住宅街の公園に残る史跡です

氷川の森~見沼西縁 散歩コース





寿能城跡(寿能公園内)
寿能城跡 正面

埼玉県 さいたま市 大宮区 寿能町2-155
Qrcode寿能城跡
(Mapion地図にアクセス)



撮影:2021年2月10日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED

埼玉散歩 日本の城

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岡部神社

記事 NO.7513   彩2021 1398年般若経600巻が奉納

2021年1月訪問
岡部神社 (深谷市)

岡部神社探訪
武将岡部忠澄の祈願所と伝えられる社

岡部神社 鳥居

屋根の付いた立派な鳥居
両部鳥居というようです

岡部神社 鳥居扁額

扁額には金属の網でカバーされています
額の周りには彫刻も施され
とても大切な扁額のようです

誰の揮毫によるものでしょうか?

すぐ後ろには石の鳥居があり

岡部神社 石鳥居扁額

石の扁額が掲げられています
歴史の重みを感じさせる扁額です


岡部神社 境内

岡部六弥太が一の谷の戦功を奉賛し
寿永3年(1184年)に境内に杉を植えました

しかし昭和38年(1963年)の突風により大半が倒伏しました

岡部神社 手水鉢と謎の石

その根株の脇には謎の石が6つ置かれています

埼玉県南部の神社でよく見かける力石とは
まったく違います 
丸味もないし石の種類も違います

岡部神社 謎の石

誰が何のために置いたのでしょう?



岡部神社 説明板

岡部神社

 沿革 従来は聖天宮と称されており、本殿には歓喜天の木像が安置されている。明治十二(一八七九)年、岡部神社と改称し、現在に至る。祭神は伊弉諾尊・伊弉冉尊という。
 岡部六弥太忠澄の祈願所とも言われ、寿永年間、忠澄は一の谷の戦功を感謝し、記念に杉を植栽したと伝えられている。
 後に、徳川家康の関東入国とともに、岡部の地を領地とした岡部藩主安部氏は、当社を崇拝し、代々祈願所として、毎年三月十七日の例祭には参拝した。
 祈願者は近郷より集まり、縁結び、家内安全、五穀豊穣、夜盗除等を祈願した。昭和二十年代以前の夏祭りには、神輿が出てたいへん賑やかなものであったと言う。
 この神輿は、町指定文化財となっており、現在は、神社境内の倉庫(御輿やどり)に保管されている。御輿は、大中小と三種類あり、いずれも四角形、木製無地で、鉄の金具がつき、屋根は銅板ぶきとなっている。このうち最も大きなものは、屋根の中央に鳳凰がつき、屋根下の欄間四方に、鶴、ひばり、昇り龍等の彫刻が繊細に施され、四隅に獅子二頭ずつが彫刻されており、たいへん豪華なつくりとなっている。
     平成三年三月      埼玉県 岡部町


岡部神社の倉庫 御輿やどり

岡部神社の倉庫(神輿やどり)

岡部神社の御輿

神輿は市の有形民俗指定文化財に指定されています


岡部神社 奉納龍

その他
馬頭観世音菩薩 二十二夜待塔 庚申供養塔
五柱五成大霊魂碑などもあります




岡部神社
岡部神社 社殿

埼玉県 深谷市 岡部705
Qrcode岡部神社
(Mapion地図にアクセス)



撮影:2021年1月
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED

埼玉散歩 深谷市岡部・普済寺の史跡めぐり

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岡部六弥太忠澄の墓

記事 NO.7512   彩2021 忠澄は猪俣党の出身

2020年12月1日訪問
岡部六弥太忠澄の墓 (深谷市)

岡部六弥太忠澄公御廟
名将平忠度を討った場面は平家物語にも登場

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普済寺の北にある岡部氏の墓地には 忠澄のほか
夫人の玉ノ井 父行忠の五輪塔があります

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岡部六弥太忠澄の墓

 岡部六弥太忠澄の墓岡部六弥太忠澄は、武蔵七党の一つ猪俣党の出身で、猪俣野兵衛時範(いのまたやへえときのり)の孫、六太夫忠綱(ろくたゆうただつな)が榛沢郡岡部に居住し岡部氏を称した。
 忠澄は忠綱の孫にあたる。源義朝の家人として保元・平治の乱に活躍した。六弥太の武勇については、保元・平治物語 源平盛衰記に書かれており、特に待賢門(たいけんもん)の戦いでは、熊谷次郎直実、斉藤別当実盛、猪俣小平六など源氏十七騎の一人として勇名をはせた。その後、源氏の没落により岡部にいたが、治承四(一一八〇)年、頼朝の挙兵とともに出陣し、はじめ木曾義仲を追討し、その後平氏を討った。特に一の谷の合戦では、平氏の名将平忠度(ただのり)を討ち一躍名を挙げた。恩賞として、荘園五ヵ所及び伊勢国の地頭職が与えられた。その後、奥州の藤原氏征討軍や頼朝上洛の譜代の家人三一三人の中にも六弥太の名が見える。忠澄は武勇に優れているだけでなく、情深く、自分の領地のうち一番景色のよい清心寺(現深谷市萱場)に平忠度の墓を建てた。現在地には鎌倉時代の典型的な五輪塔が六基並んで建っているが(県指定史跡)、北側の三基のうち中央の最も大きいものが岡部六弥太忠澄の墓(高さ一・八メートル)、向かって右側が父行忠(ゆきただ)の墓、左側が夫人玉の井の墓といわれている。
 六弥太の墓石の粉を煎じて飲むと、子のない女子には子ができ、乳の出ない女子は乳が出るようになるという迷信が伝わっており、このため現在、六弥太の五輪塔は削られ変形している。
      平成三年三月 埼玉県 岡部町



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五輪塔が6基並んでいます
このうち最も大きいものが忠澄のものとされています


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忠澄の五輪塔 その右が父行忠


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夫人玉ノ井の墓


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岡部六弥太忠澄の墓とみられる五輪塔



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岡部六弥太忠澄公史跡保存費寄附者芳名


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南にある寄附者の碑には
渋沢栄一の名前もあります

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岡部六弥太忠澄の墓
50DSC_2545.jpg

埼玉県 深谷市 普済寺962
Qrcode岡部六弥太忠澄の墓
(Mapion地図にアクセス)



撮影:2020年12月1日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED

埼玉散歩 深谷の史跡を歩く

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白蓮院の墓

記事 NO.7510   彩2021 指定文化財

2021年1月訪問
白蓮寺 (深谷市)

白蓮院の墓
白蓮院殿玉鳳珪林大姉

白蓮院の墓

白蓮院は 安部大蔵元眞の室

白蓮院の墓 説明板

白蓮院の墓は台座の上に立つ
角閃石安山岩製の五輪塔で
中世末期の特徴を示しています

白蓮院の墓

地輪に刻まれた銘文は
安部氏の岡部領有の年号を示す貴重な史料です

白蓮院の墓 碑文


白蓮寺 白蓮院の墓



安部藩家士供養塔






白蓮寺
白蓮寺

埼玉県 深谷市 岡部653
Qrcode白蓮寺
(Mapion地図にアクセス)



撮影:2021年1月
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED

埼玉散歩 彩の史跡めぐり

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岡部藩主歴代の墓

記事 NO.7509   彩2021 源勝院館跡

2021年1月訪問
源勝院 (深谷市)

岡部藩主歴代の墓
岡部藩主安部(あんべ)氏の菩提寺

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岡部藩は徳川家康の関東入国に従った
安部信勝が榛沢郡岡部(深谷市)に
陣屋を構えたのを淵源とします

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その子信盛は慶安2年(1649年)に
一万石を加増されて大名となりました

以後安部氏十三代が藩主を務めました

安部大蔵元眞の碑

源勝院表門を入ってすぐ左手に
安部家の祖 安部大蔵元眞の業績を顕彰した碑があります

安部大蔵元眞の碑
安部大蔵君碑


初代藩主信盛から十二代藩主信宝(のぶたか)までの墓が
一列に建ち並ぶ姿は壮観です

岡部藩主歴代の墓

初代信勝は岡部藩主ではないので
初代藩主が安部氏二代 二代藩主が三代…とずれています

岡部藩主歴代の墓

12基の屋根付位牌形の墓碑が東向きに
南から北へ世代順に並んでいます

岡部藩主歴代の墓

十二代藩主信宝のとき
弘化3年(1846年)から8年間 高島秋帆を預かりました

岡部藩主歴代の墓

十三代藩主信発(のぶおき)の墓はここにはありません
幕末・維新期で多難な時代で
三河国半原へ移り幕末を迎えました



藩主安部氏は江戸初期から明治維新まで
一度も転封されなかった数少ない譜代大名です

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源勝院
源勝院


埼玉県 深谷市 岡部786
Qrcode源勝院
(Mapion地図にアクセス)



撮影:2021年1月
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED

埼玉散歩 彩の石めぐり

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片倉シルク記念館

記事 NO.7479    彩2020 絹が伝えるふるさとの歴史

2020年12月16日訪問
イオン熊谷店敷地内片倉フィラチャー (熊谷市)


片倉シルク記念館
近代化産業遺産

片倉シルク記念館1

片倉シルク記念館は
日本の近代化への基礎を築いた製糸の歴史と地域との関わり
先人達の残した伝統や足跡を伝えています

片倉シルク記念館2

絹産業を肌身で感じることのできる施設です

片倉シルク記念館3


片倉シルク記念館

 この地には地元有志の三枝氏・青木氏及び柿原氏の三氏が、埼玉県の製糸業発展のため、共同出資により「三木原製糸場」を設立した場所です。明治40年、片倉工業株式会社が経営を引き継ぎ、その後、片倉工業最後の製糸工場「熊谷工場(旧称「石原工場」)」として平成6年12月まで操業を続けました。
 平成12年11月、この地は片倉シルク記念館と商業施設からなる複合施設「片倉フィラチャー」としてオープンしました。フィラチャー(Filaturue)とは、英語で「製糸場」を意味し、かつてここが製糸場であったことを記念して命名したものです。
 当館は、かつての日本の基幹産業の木造倉庫内で、製糸工程・工場の歴史・従業員の生活等から、機械・パネルを通し見学して頂ける施設です。
 「蔵造り倉庫」は、熊谷工場の前身である三木原製糸場で明治32年に建設された木造二階建ての繭貯蔵庫です。「蜂の巣倉庫」は、昭和11年に福島県郡山市の製糸工場で建築され、昭和40年に熊谷工場に移築されたものです。倉庫内は繭を貯蔵する竪穴が105個ある、蜂の巣に似た珍しい構造となっています。なお、当館は2007年11月近代化産業遺産に認定されました。

プレゼント
片倉シルク記念館4
ご来館 ご見学のお客様に
繭玉贈呈!

片倉シルク記念館5

「片倉シルク記念館」は
片倉工業株式会社最後の製糸工場であった
熊谷工場の繭倉庫を利用して創設された記念館です

片倉シルク記念館6

繭倉庫を利用した館内に
操業当時に使われていた製糸機械や貴重な資料が展示されています

片倉シルク記念館7

順路にしたがって見学コースを回ることで
繭から生糸になるまでの製造工程を
当時にタイムスリップしたような感覚で見学することができます

片倉シルク記念館8


片倉シルク記念館9


片倉シルク記念館10


片倉シルク記念館11

貴重な資料がいっぱいだ~

片倉シルク記念館12

天井を蜂の巣状に仕切って
繭の保管・蔵出しに使っていました

蜂の巣状の天井


片倉シルク記念館13


片倉シルク記念館14

富岡製糸場の姉妹工場としてのたたずまいが楽しめます

片倉シルク記念館15

平成19年「近代化産業遺産」認定




近代化産業遺産 片倉シルク記念館
片倉シルク記念館16

埼玉県 熊谷市 本石2-135
Qrcode片倉シルク記念館
(Mapion地図にアクセス)





撮影:2020年12月16日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED



日本再発見
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岡部陣屋跡

記事 NO.7461    彩2020 岡部陣屋跡に行ってきました

2020年11月11日訪問
岡部陣屋跡 (深谷市)


高島秋帆幽囚の地
岡部陣屋跡

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岡部陣屋の跡地に行ってみましたが

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一角に「秋帆先生幽囚之地」の石碑が残っているだけでした

「高島秋帆幽囚の地」説明板
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火技之中興洋兵之開祖 高島秋帆について

 高島秋帆は、寛政10(1798)年、長崎の町年寄まちどしよりの家に生まれた。名は茂敦といい、通称は四郎太夫、秋帆は号である。
 父の跡を継ぎ、町年寄や鉄砲方を勤めるかたわら、広く蘭学を修め、特にオランダ人を通じ、砲術を研究し、西洋式の高島流砲術を創始した。天保年間には、欧米のアジア進出の危機に備えて、砲術の改革を幕府に進言するなどした。
 天保 12(1841)年、秋帆 44 歳のとき、幕府の命により、江戸近郊の徳丸ヶ原(現在の東京都板橋区高島平)で西洋式の調練を実施し、西洋式の兵術・砲術を紹介した。その結果、幕府は幕臣にも西洋式の兵術・砲術を学ばせることとなり、伊豆韮山の代官、江川太郎左衛門をはじめ、多くの幕臣が彼のもとに入門した。
 しかし翌 13(1842)年、秋帆は 中傷により獄に投ぜられ、弘化3(1846)年から赦免される嘉永6(1853)年まで岡部藩預かりの身となった。
 写真の碑がある場所は、当時の岡部藩陣屋の一角であり、この石碑の立つ場所に秋帆は幽囚されていた。岡部藩では客分扱いとし、藩士に兵学を指導したと伝えられている。その後、江川太郎左衛門ら、秋帆の門人たちは幕府に願い赦免に尽力、ついに嘉永6(1853)年、ペリー来航と共に幕府は近代兵学の必要性に迫られたことから急きょ秋帆を赦免した。
この後、秋帆は幕府に仕え講武所教授方頭取、講武所奉行支配などをつとめ、慶応2(1866)年、69歳で没した。日本の西洋式兵学の先駆者である。
   (深谷市 高島秋帆パンフレットより)

(裏)
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- 追記 -
そうそう 高島秋帆は
あの 日本一の力持ち三ノ宮卯之助と
同時代に生きた人物なんです

それから なぜ陣屋の遺構が残っていないのか
高島秋帆先生史跡保存会が建立した碑のみで
地元で「陣屋跡」の碑
あるいは説明板を作らなかったのはなぜでしょう
維新のどさくさに紛れて新政府軍についたから?
地元の豪農からたくさんお金をまきあげたから?
謎の岡部陣屋跡です



ここで話が変わります

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今は陣屋の面影が何もありませんが
ここは渋沢栄一の人生の礎となる出来事があったところです


唯一の遺構といえば
陣屋の通用門 地方門(じかたもん)が
個人宅に移築され残っています




岡部陣屋の地方門は渋沢栄一の人生に大きな影響を与えました
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日本の歴史を大きく変えた貴重な門です


渋沢栄一が17歳の時 父の名代で御用伺いに出向き
この地方門をくぐりました その時の代官の対応が
栄一の一生を支配する信念となったのです

代官との対応はあまりにも有名な話ですね
岡部陣屋と渋沢栄一

どんな思いでこの門を後にしたのか想像してみてください





岡部陣屋跡 高島秋帆幽囚の地
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埼玉県 深谷市 岡部1211
Qrcode岡部陣屋跡
(Mapion地図にアクセス)





撮影:2020年11月11日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED



日本再発見 岡部陣屋地方門
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木曽義仲産湯の清水 鎌形八幡神社

記事 NO.7457   彩2020 木曽義仲ゆかりの地

2009年11月21日訪問
鎌形八幡神社 (嵐山町)

鎌形八幡神社
木曽義仲公生誕の地

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鎌形八幡神社由緒
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平安時代の初期 延暦年間に坂上田村麻呂が
九州の宇佐八幡神社宮の御霊をここに迎えて祀ったのが
始まりであると伝えられています


木曽義仲産湯清水の碑
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木曽義仲産湯の清水

義仲は仁平三年(1153)に父親の源義賢が
大蔵の館に移り住んだ年に生まれたと伝えられ
その際に近隣の七つの清水から産湯を沸かしたといわれています

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今も竹筒から清らかな水が湧き出ています


見事な彫刻が施された社殿
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本殿を拝殿が覆う形のもので
中の本殿が町指定文化財です

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本殿は寛延2年(1749年)に建てられたそうです

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社殿には立派な額が掲げられています

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鎌形八幡神社の甲源一刀流奉納額
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文久3年の浪士組の上洛に武州比企郡から参加した人たちや
彰義隊に参加した人たちの名前があります

鎌形八幡神社に奉納された繭額
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本物のまゆがたくさん入っています
養蚕の盛んな地域だったことがうかがえます

毎年4月には鎌形流鏑馬後援会によって
流鏑馬が奉納されているようです

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2021年NHKで放送予定の大河ドラマ
「青天を衝け」の撮影が9月4日 5日の2日間にわたり
ここ鎌形八幡神社で行われました

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鎌形八幡神社は渋沢栄一と
直接ゆかりのある神社ではありません




鎌形八幡神社
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埼玉県 比企郡嵐山町 鎌形1993-1
Qrcode鎌形八幡神社
(Mapion地図にアクセス)



撮影:2009年11月21日
カメラ:ニコン-Nikon D80

埼玉散歩 青天を衝けロケ地
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飯能戦争被弾の門 智観寺

記事 NO.7452    彩2020 飯能戦争の跡を訪ねる

2020年11月14日訪問
常寂山智観寺 (飯能市)


飯能戦争被弾の門
飯能戦争の爪痕

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振武軍の駐屯地と して
120人がたてこもったという智観寺

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飯能戦争に散った振武軍の戦跡を訪ねてみました
実際に被弾した山門は収蔵庫に保存されているようです

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現在ある山門は再建されたものです

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山門の天井の梁 には
飯能戦争で被弾した跡が復元されています

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官軍は振武軍のたてこもっている寺を
次々と攻め落としました

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この戦争で 振武軍は壊滅し
古刹能仁寺をはじめ四ヶ寺が焼失
民家は久下分156戸 中山26戸
真能寺26戸等 焼失しました



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境内奥には
水戸徳川氏附家老で 寛永19年(1642年)に没した
埼玉県指定文化財 初代中山信吉の墓があります





常寂山智観寺
27DSC_1784.jpg

埼玉県 飯能市 中山520
Qrcode智観寺
(Mapion地図にアクセス)




撮影:2020年11月14日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED


日本再発見 飯能戦争激戦の地
   

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へいへい

Author:へいへい

開​設日​: ​20​06​/3​/2​5(​土)​

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