関興寺(かんこうじ)
~2013年8月11日訪問~
天正6年(1578年)上杉謙信の没後、
景勝・景虎による家督相続争い「御館(おたて)の乱」が起こりました。
景勝に縁の深かった関興寺は、景虎方の小田原北条軍に包囲され、景勝方の逃げ込んだ兵を引き渡すように命じましたが応じませんでした。
そのため、小田原北条軍に火をかけられ、焼き討ちにあってしまったのです。
焼き討ちの折、雨天是鑑和尚様は上杉氏より寄進された大般若経典六百巻を、味噌桶の中に埋めるように修行僧に命じて、火災から大切な経典を守りました。
「関興寺の味噌は大切な経典を守った有難い味噌、ましてやその味噌の中に600巻もの経典が埋められたならばさぞかし関興寺の味噌には経典のご利益・功徳があるに違いない」
と人々の間でひろまりました。
天正14年(1586)に景勝の寄進により堂宇が再建されますが文禄3年(1594年)祝融の災によって再び焼失、庇護者であった景勝は春日山城から会津の鶴ヶ城(福島県会津若松市)、出羽の米沢城(山形県米沢市)と居城が変わった事で寺運衰退し、慶長5年(1600年)に景勝を頼り米沢に移っています。寛永6年(1629年)に再び火災で焼失し、それを期に再び越後に戻り堂宇の整備を行いました。
※上杉家の120万石移封、30万石減封により多くの寺院が越後から会津、米沢と移されましたが、越後国上田庄上山あった「関興庵」(かんこうあん)もその寺の一つでした。米沢に入った「関興庵」は、直江兼続により米沢城の守護と安泰を祈念し鬼門にあたる城下北東部に再建されています。「関興庵」は直江兼続の生家樋口家の菩提寺です。現在南魚沼市にある「関興寺」(かんこうじ)は、米沢の「関興庵」から住職の一人が後に越後に戻り再興したお寺です。
「関興寺」「関興庵」そこが味噌です。
撮影:2013年8月11日-新潟県 南魚沼市 上野267 /最上山 関興寺
カメラ:ニコン-Nikon D80 (C)heihei's studio 2010 へいへいのスタジオ2010
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新潟彩発見! 新潟県内観光 直江兼続生家樋口家 山形県米沢市 天地人 愛 (誤字:直江兼次)