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実ケ谷久伊豆神社

記事 NO.7798     彩2021 秋の青空

2021年10月20日訪問
実ケ谷久伊豆神社(白岡市)

実ケ谷久伊豆神社
さながやひさいずじんじゃ

実ケ谷久伊豆神社

美しい青空

実ケ谷久伊豆神社


実ケ谷久伊豆神社

実ケ谷久伊豆神社
白岡町大字実ケ谷字宮前

 実ケ谷久伊豆神社は、嘉吉元年(一四四一)の創建といわれる。祭神には大己貴命ほか四柱が祀られている。
 当社の由緒を伝えるものに、日高市聖天院の鰐口(県指定文化財)がある。この鰐口の表には「久伊豆御宝前 願主衛門五郎 武州崎西郡鬼窪郷佐那賀谷村」、裏には「大工渋江満五郎 応仁二年戊子十一月九日」の銘がある。すなわち、この鰐口は願主の「衛門五郎」が応仁二年(一四六八)、渋江(現岩槻市)の鋳物師「満五郎」に造らせ、当社に奉納したものである。
 銘文中の「鬼窪郷」とは、武蔵七党の一つである野与党の有力者鬼窪氏の本拠地で、当町の大字小久喜・大字実ケ谷・大字白岡を中心とした地域が相当すると考えられている。
   平成十年二月 白岡町教育委員会

実ケ谷久伊豆神社

拝殿脇には 石碑や大きな石があります

実ケ谷久伊豆神社の力石

△石碑の横の石には
「奉納 四拾五メ目」の文字が刻まれています
力石です

実ケ谷久伊豆神社

刻字のない石も2つあります

よく見かける神社の大きな石です







実ケ谷久伊豆神社
実ケ谷久伊豆神社

埼玉県 白岡市 実ケ谷553-1

撮影:2021年10月20日
カメラ:ニコン-Nikon D7500


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白岡市の力石 埼玉歴史散歩
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テーマ : 日本文化
ジャンル : 学問・文化・芸術

大光寺の文明鰐口

記事 NO.7703     彩2021 岩槻歴史散歩

2021年8月21日訪問
大光寺(さいたま市)

文明鰐口
市指定 有形文化財(工芸品)
DSC_5364tr2.jpg
指定年月日 昭和49年9月26日

DSC_5364.jpg


文明鰐口

 この鰐口は、鋳銅製で、直径四十三cm、厚さ十二cmの大きさがある。中央の撞座(どうざ)に蓮華文(れんげもん)があり、表に銘が刻まれる。これにより、文明六年(一四七四)渋江郷に住む鋳物師秦次(いもじやすつぐ)の作った鰐口を新方庄長宮(にいかたのしょうながみや)に鎮座する香取社に奉納したことがわかる。
 渋江郷は中世の岩槻周辺を指し、鋳物師は集団で活動し、渋江鋳物師(しぶえいもじ)と呼ばれ、戦国時代には岩槻城主から厚く保護された。市内村国(むらくに)にはその跡地とされる渋江鋳金遺跡(県旧跡)がる。渋江鋳物師の作例は、この鰐口の他は、日高市聖天院所蔵の応仁二年(一四六八)銘鰐口(県工芸品)が一例現存するだけで、当時の活動を知る事ができる貴重な資料である。
   岩槻市教育委員会

DSC_5364tr.jpg

文明鰐口銘文
  敬白 奉懸新方庄長宮香取鰐口一宇
 文明六年 甲午卯月十五日 旦那孫九郎
 家吉 大工渋江住泰次

鰐口とは
 社殿・仏堂正面の軒下につるし、参拝者が布で編んだ綱を振って打ち鳴らすための、鋳銅製の仏具。形は鈴を平らにしたような円形をしており、中空で、下部に横長の口を持ち、上部に吊るすための耳がある。


DSC_5364tr2.jpg

関連記事:渋江鋳金遺跡




大光寺
大光寺

埼玉県 さいたま市 岩槻区 長宮1101
Qrcode大光寺
(Mapion地図にアクセス)

撮影:2021年8月21日
カメラ:ニコン-Nikon D7500


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埼玉歴史散歩 saitama
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テーマ : 日本文化
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伴門五郎之碑

記事 NO.7632     彩2021 彰義隊第一等の英傑

2021年3月25日訪問
三学院(蕨市)
伴門五郎之碑
彰義隊の主唱者 伴 門五郎

伴門五郎之碑

伴門五郎之碑
伴門五郎之碑

徳川恒孝 書

伴門五郎之碑


伴門五郎之碑

 伴 門五郎先生は彰義隊の主唱者でありまた参謀格でもあった 先生は天保十年四月八日当時蕨宿の名主岡田正広通称平左衛門の三男として生まれ後に伴家を継ぎ十四歳で幕府に出仕し御徒から陸軍調役に昇進した
 十五代将軍徳川慶喜公は天下の形勢を察知し大政を奉還した たまたま鳥羽伏見の戦いで薩長の軍に敗れ朝敵の汚名をこうむることとなった 先生は君公のこの汚名をすすごうと同志と計って彰義隊を結成し上野の山に奮戦力闘したがそのかいもなく慶応四年五月十五日に三十歳を一期ととして玉砕された
 先生の赤誠の志をしのび明治二十年旧友や遺族が墓碑を谷中全生庵に建てた 今また明治百年に当たり私たちは郷土が生んだ忠誠の士伴先生を景仰する情の切なものがある
 ここに本会は往時を追懐し伴 門五郎先生顕彰の碑を建てるゆえんである
    昭和四十三年五月十五日 蕨市郷土史研究会

伴門五郎之碑

4代蕨市長金子吉衛氏が
門五郎の甥の子2代蕨市長岡田徳輔氏との縁で
建てたものです

土台の石は上野寛永寺にあった庭石です

伴門五郎之碑

伴門五郎は
上野戦争以来生死が不明になっています

山岡鉄舟は 八方手を尽くして探しましたが
見つからず自ら谷中に建立した全生庵に
明治20年「伴氏徳君墓表」を建てました





金亀山極楽寺三學院
三学院

埼玉県 蕨市 北町3-2-4
Qrcode三学院
(Mapion地図にアクセス)


撮影:2021年3月25日
カメラ:ニコン-Nikon D7500


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埼玉歴史散歩 蕨を歩く
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関連記事:彰義隊の墓

テーマ : 歴史
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江戸時代に描かれた力石

記事 NO.7612     彩2021 古典の中の力石

2021年5月9日
身近にあった力石
力石の絵を楽しみましょう

01jpegOutput江戸名所図会7巻白髭明神社tr

△「江戸名所図会」7巻白鬚明神社の絵です

この神社は現在も東向島に存在しています
そして今でも力石が保存されています

どこに力石が描かれているかわかりますか?

探してみてください


絵の中から力石を探すのも面白いと思います

江戸名所図会にはたくさんの寺社が描かれ
その中に力石が描かれているものがいくつもあります


さて 上の絵ですが
▽力石の部分を拡大したものです

02白鬚神社

どこに描かれていたかおわかりですね♪
力石をよくみてください
彫られた文字まで描かれています


▽次の本は「絵本江戸みやげ」
亀戸天神の絵です

03jpegOutput絵本江戸みやげ 亀戸天満宮tr

力石はすぐにみつかりますね

▽大きくしてみました

04絵本江戸みやげ 亀戸天満宮拡大

力石を持ち上げようとしています


▽最後に「絵本以呂波歌」3巻からです

05jpegOutput絵本以呂波歌3巻tr

「わ」の歌に
大きな力石が2つ描かれています

06jpegOutput絵本以呂波歌3巻tr2

2つの力石が見つかりましたか?



どこに座っているの!
そこで力石持ち上げて大丈夫ですか
わきまえて わざわいが起らないことを祈ります



画像提供
国立国会図書館ウェブサイト


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力石を楽しむ 身近な力石
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水戸征討記念碑

記事 NO.7584     彩2021 たいへん珍しい碑

2021年4月7日訪問
水戸征討記念碑 (皆野町)

水戸征討記念碑
三沢の猟師たちが従軍

水戸征討記念碑

元治元年(1864)に水戸で「天狗党の乱」がありました
外国を追い払おうとする一派と 徳川幕府との争いです

忍藩は幕府方でしたので 藩主の松平下総守の求めに応じて
三沢の猟師たちが この戦いに従軍しました 

そして 無事に故郷へ帰ってくることができたので
それを記念してこの碑を建てました

水戸征討記念碑 説明板

   皆野町指定有形文化財
   平成十四年十二月二十六日指定
水戸征討記念碑

 三沢は江戸時代の寛文三年(一六六三)から、明治時代(~一八七一)まで、約二百年間は忍藩に属していました。
 元治元年(一八六四)に水戸(茨城県)に「天狗党の乱」という戦いがありました。外国を追い払おうとする天狗党と、開国に揺れる徳川幕府との争いです。忍藩は幕府方でしたので、藩主の松平下総守の求めに応じて、三沢の猟師たちが、この戦いに従軍しました。そして、無事に故郷へ帰ってくることができたので、それを記念してこの碑を建てました。
 いちばん上に、「惟依神徳」(御神徳によって無事に帰ることができた)と彫られ、その下に縦書きで「水戸征討記念碑」と刻んであります。
 発起人に萩原松五郎、田中定右衛門とあります。この外にまだ従軍した方が、相当あったことはもちろんです。戦力として猟師が従軍した碑はたいへん珍しいものです。
        皆野町教育委員会


水戸征討記念碑 表
惟依神徳
水戸征討記念碑


水戸征討記念碑 裏


水戸征討記念碑
忍 松平下総守領分 猟師役従軍者
三沢村 発起
萩原松五郎 田中定右エ門


水戸征討記念碑
元治元年甲子十二月立之





水戸征討記念碑
水戸征討記念碑

埼玉県 秩父郡皆野町 大字三沢字枝ノ沢1753
Qrcode水戸征討記念碑
(Mapion地図にアクセス)

撮影:2021年4月7日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED



幕末明治維新を歩く 歴史の宝石めぐり

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伊能忠敬像(江東区)

記事 NO.7543   彩2021 忠敬測量に向かう

2021年2月20日訪問
富岡八幡宮 (東京都江東区)

伊能忠敬像
伊能測量開始200年を記念して建立

伊能忠敬像 - 富岡八幡宮

伊能忠敬は1800年(55歳)から1816年(71歳)までの
17年間にわたって日本全土を測量

伊能忠敬銅像 富岡八幡宮

没後の1821年
「大日本沿海輿地全図」が完成

伊能忠敬像 説明板(富岡八幡宮)


伊能忠敬銅像

 近代日本地図の始祖である伊能忠敬 先生は、事業に成功したあと50歳のとき江戸に出て、当宮近くの黒江町(現在は門前仲町一丁目)に隠宅を構えていました。
 約200年前の寛政12年閏4月19日(陽暦では1800年6月11日)の早朝に当宮に参拝して、蝦夷地(北海道)測量の旅に出かけました。
 忠敬先生はこのときを含めて全部で10回の測量を企画しましたが、遠国に出かけた第8回までは、出発の都度必ず、内弟子と従者を率いて富岡八幡宮に参詣して、無事を祈念したのち、千住、品川宿など測量開始地点に向かって歩き出しました。当宮は伊能測量にとってたいへん御縁の深い場所であります。
 伊能測量開始200年にあたり、「伊能ウォーク」、地図・測量、土地家屋調査士、伊能忠敬 研究会などの関係者が中心となって、広く一般から浄財を公募して建立されました。
   平成13年10月
     伊能忠敬 銅像建立実行委員会

伊能忠敬像


三等三角点「富岡八幡宮」
三等三角点 富岡八幡宮


世界測地系の採用を記念して

 全世界共通の地球上の位置を表す測量及び水路測量の基準を 「世界測地系」 といいます。
 わが国は平成13年(2001年)6月の測量法の改正により日本独自の日本測量系から全世界共通の世界測地系に変更することになりました。
 この世界測地系を採用した記念として、測量技術が21世紀のグローバルで豊かな社会に貢献できることを願って、社団法人 全国測量設計業協会連合会の創立40周年にもあたり、このモニュメントを建設したものです。
   平成13年(2001年)10月吉日建立
   社団法人 全国測量設計業協会連合会

緯度  35度40分15秒61
経度 139度47分56秒74
標高 1.2m

「基準点を大切にしましょう」  国土交通省国土地理院
三等三角点

立派な石で保護された富岡八幡宮の三角点は
伊能忠敬像と一緒に美しいモニュメントとして
参道脇に設置されています



富岡八幡宮(深川八幡宮)
富岡八幡宮

東京都 江東区 富岡1-20-3
Qrcode富岡八幡宮
(Mapion地図にアクセス)



撮影:2021年2月20日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED

東京散歩 深川散歩 渋沢栄一を歩く

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大関力士碑(江東区)

記事 NO.7541   彩2021 江戸勧進相撲発祥地

2021年2月20日訪問
富岡八幡宮 (東京都江東区)

大関力士碑
歴代の大関力士を顕彰

大関力士碑

富岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の地として知られています

大関力士碑 説明板


大関力士碑

 当宮は江戸勧進相撲発祥の地として知られ、明治年間には歴代横綱の名を刻んだ横綱力士碑(本殿に向かって右側の奥)が建立されましたが、この大関力士碑は歴代の大関を顕彰し(横綱に昇進した力士と実際に取組みには入らなかった看板大関を除きます)昭和五十八年に建てられた碑で、九代目市川団十郎と五代目尾上菊五郎が明治年間に寄進した仙台石を利用しています。

江戸時代初期 相撲興業はトラブルが多く
しばしば禁止されました

しかし5代将軍綱吉の治世 貞享元年(1684)に
勧進相撲が許され開催場所となったのが
富岡八幡宮の境内でした


明治31年に市川団十郎が寄進した碑
大関力士碑 力士名

江戸期の大関の四股名が刻まれています

雷電為右衛門の名もみられます

大関力士碑 釈迦ヶ嶽 雷電

巨人力士身長碑
巨人力士身長碑

昭和58 年に建てられたものです


巨人手形・足形碑
大関 手形足形

大空武左衛門 釈迦ヶ嶽雲右衛門 九紋竜清吉
鮨ヶ嶽源大夫 出羽ヶ嶽文治郎 竜門の6力士の手形

生月 竜門 男山の三力士の足形



釈迦嶽等身碑
釈迦嶽等身碑

この円柱形の碑は 高さ2.26メートル
釈迦ヶ嶽の身長と同じ高さに造られていています

建立当初は 富岡八幡宮境内の野見宿禰社の東側にありましたが
昭和2年に横綱力士碑のそばに移動し
さらに昭和63年に現在地に移動したようです

釈迦嶽等身碑 説明板


釈迦嶽等身碑

寛延二年(一七四九)出雲国(現安来市)に出生
松平家のお抱え力士雷電為五郎の弟子となり大阪で初土俵明和七年(一七七〇)江戸番付に東大関として登場する
身の丈七尺五寸(二米二六糎)四拾五貫八百匁(一七二瓩)の巨体があった
江戸在場所中の成績は二三勝一分一預という高い勝率を残した
安永四年(一七七五年)若干二十六才にて没したのは惜しまれるこの碑は天明七年実弟の真鶴咲右衛門により建立された
  (区有形文化財)



大関力士碑


相撲は蔵前八幡や神田明神なども興行場所となりましたが
富岡八幡宮でしばしば行われ
貞享元年以降31回開催されています

天保4年からは 本場所は
本所回向院で開催されることとなりましたが
勧進相撲の勃興期における
富岡八幡宮の地位は高いものでした



富岡八幡宮(深川八幡宮)
富岡八幡宮

東京都 江東区 富岡1-20-3
Qrcode富岡八幡宮
(Mapion地図にアクセス)



撮影:2021年2月20日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED

東京散歩 深川散歩 渋沢栄一を歩く

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深川力持の碑(八幡宮社殿西側)

記事 NO.7539   彩2021 東京都無形文化財

2021年2月20日訪問
富岡八幡宮 (東京都江東区)

力持碑
東京都指定無形文化財(昭和31年指定)

深川力持の碑(八幡宮社殿西側)

倉庫業に従事する人々のあいだに伝承された
力くらべの曲芸 力持ちの碑
力持ちを記録した力石が奉納されています

力持ち碑



此の力石は雑司ヶ谷鬼子母神祠にあったものを會長福士民蔵之れを見出し深川区史編纂主筆三輪善之助氏及び豊島区永江維章氏の斡旋により法明寺住職近江正順師より深川富岡八幡宮へ奉納寄贈されたものである

昭和三十一年八月 深川力持睦會



力持の由来


力持の由来

 力持は昭和三十一年十一月二十四日無形文化財に指定され、現在木場の角のりと共に江東区が誇る郷土文化財である
 この力持の技芸は深川佐賀町を中心としてその周辺に江戸時代より伝わるものでその沿革は文献に乏しいが当時国持大名が自領の藩米を江戸に廻送して之れを浅草蔵前の札差(現在の米問屋の仲買)に杔て処理したもので札差による米殻倉庫業の発達繁栄に伴ひその從業員が余技とする力自慢の彼に江戸の下町趣味の芸能と更にスポーツ的娯樂が加味されたのが現在の力持の曲技で明治以後においても隅田川の東西河岸の倉庫や問屋などでその從業員達の間で盛んに行われて来たが時代の変遷で衰微したしかし近年漸くこの力持の技芸を復興させようとする機運が次第に髙まり深川力持睦会が組織されたのである

  初代会長 福士民蔵
  二代目会長 鶴岡亀吉
  三代目会長 高橋菊蔵


力持碑
力持碑
東京都無形文化財
山崎種二謹書


力持睦会連名
深川力持睦会連名
力持碑(裏)



奉納力石

さし石 左  さし石1

さし石2  さし石3



さし石 右  さし石4

さし石5  さし石6





富岡八幡宮(深川八幡宮)
富岡八幡宮

東京都 江東区 富岡1-20-3
Qrcode富岡八幡宮
(Mapion地図にアクセス)



撮影:2021年2月20日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED

東京散歩 深川散歩 渋沢栄一を歩く

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渋沢一族の成り立ち

記事 NO.7471    彩2020 歴史を刻む石

2020年12月訪問
深谷市

東前の家の歴史
歴史を語る碑
東前の家の歴史


渋沢一族の成り立ちが刻まれています

東前の家 前の家
東前の家 前の家分家


中の家 武沢家
中の家分家 武沢家分家

六代(安元)の二男(安知)は
栄一の母(えい)の父(敬林)の父です



渋沢一族の成り立ち

平成2年建石





埼玉県 深谷市 血洗島






撮影:2020年12月
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED



日本再発見 渋沢家の歴史
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へいへい

Author:へいへい

開​設日​: ​20​06​/3​/2​5(​土)​

ヤフーブログから引っ越してきました。(2019/3/7)


四季折々美しい彩の国。見沼田んぼの自然や、埼玉県内及び周辺の観光地・穴場スポット・力石を紹介します。


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