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深川力持の碑(八幡宮社殿西側)

記事 NO.7539   彩2021 東京都無形文化財

2021年2月20日訪問
富岡八幡宮 (東京都江東区)

力持碑
東京都指定無形文化財(昭和31年指定)

深川力持の碑(八幡宮社殿西側)

倉庫業に従事する人々のあいだに伝承された
力くらべの曲芸 力持ちの碑
力持ちを記録した力石が奉納されています

力持ち碑



此の力石は雑司ヶ谷鬼子母神祠にあったものを會長福士民蔵之れを見出し深川区史編纂主筆三輪善之助氏及び豊島区永江維章氏の斡旋により法明寺住職近江正順師より深川富岡八幡宮へ奉納寄贈されたものである

昭和三十一年八月 深川力持睦會



力持の由来


力持の由来

 力持は昭和三十一年十一月二十四日無形文化財に指定され、現在木場の角のりと共に江東区が誇る郷土文化財である
 この力持の技芸は深川佐賀町を中心としてその周辺に江戸時代より伝わるものでその沿革は文献に乏しいが当時国持大名が自領の藩米を江戸に廻送して之れを浅草蔵前の札差(現在の米問屋の仲買)に杔て処理したもので札差による米殻倉庫業の発達繁栄に伴ひその從業員が余技とする力自慢の彼に江戸の下町趣味の芸能と更にスポーツ的娯樂が加味されたのが現在の力持の曲技で明治以後においても隅田川の東西河岸の倉庫や問屋などでその從業員達の間で盛んに行われて来たが時代の変遷で衰微したしかし近年漸くこの力持の技芸を復興させようとする機運が次第に髙まり深川力持睦会が組織されたのである

  初代会長 福士民蔵
  二代目会長 鶴岡亀吉
  三代目会長 高橋菊蔵


力持碑
力持碑
東京都無形文化財
山崎種二謹書


力持睦会連名
深川力持睦会連名
力持碑(裏)



奉納力石

さし石 左  さし石1

さし石2  さし石3



さし石 右  さし石4

さし石5  さし石6





富岡八幡宮(深川八幡宮)
富岡八幡宮

東京都 江東区 富岡1-20-3
Qrcode富岡八幡宮
(Mapion地図にアクセス)



撮影:2021年2月20日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED

東京散歩 深川散歩 渋沢栄一を歩く

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テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

渋沢一族の成り立ち

記事 NO.7471    彩2020 歴史を刻む石

2020年12月訪問
深谷市

東前の家の歴史
歴史を語る碑
東前の家の歴史


渋沢一族の成り立ちが刻まれています

東前の家 前の家
東前の家 前の家分家


中の家 武沢家
中の家分家 武沢家分家

六代(安元)の二男(安知)は
栄一の母(えい)の父(敬林)の父です



渋沢一族の成り立ち

平成2年建石





埼玉県 深谷市 血洗島






撮影:2020年12月
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED



日本再発見 渋沢家の歴史
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薬師堂の水藩烈士弔魂碑

記事 NO.7462    彩2020 天狗党と渋沢栄一

2020年12月1日訪問
薬師堂 (深谷市)


水藩烈士弔魂碑
天狗党浪士2名が葬られた地

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血洗島の薬師堂は
岡部藩に討伐された天狗党浪士2名が葬られた地です

写真左が天狗党員2名を供養する
渋沢栄一撰・書による「水藩烈士弔魂碑」です

碑の隣にある石地蔵は安政7年 
東の家3代目の渋沢宗助らにより建立されました

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水藩烈士弔魂碑は
大正7年(1918年)に建立されました

14DSC_2883.jpg


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弔魂碑

 此弔魂碑は旧水戸藩士二人合葬の所を標せしなり、元治甲子の年、水藩の志士田丸稲之衛門・藤田小四郎等尊王攘夷の説を唱へ同志を糾合して幕府に抗し、事敗るゝに及び一橋慶喜公に就きて天朝に愬ふる所あらむとし、武田耕雲斎等と共に西上せむとす、兵凡三百余人、其嘗て筑波山に拠れるを以て世人呼びて筑波勢といふ、幕府傍近の諸藩に令して之を討たしむ、十一月十二日其勢七隊に分かれ利根川を越えて中瀬村に至る、岡部藩の家老吉野六郎左衛門兵を率ゐて其通過を止めしかば、夜陰に乗じて本庄宿に去れるが、其隊中の二人は一行に後れて藩兵の殺す所となれり、血洗島村人其非命を憐み遺骸を収めて墓石を建て、其氏名を詳にせざるを以て唯無縁塔とのみ称したりき、今玆大正七年、村人其久しくして湮滅せむことを恐れ碑を刻して之を表せむとし、余に其事由を記せむことを請はる、嗚呼筑波勢の挙言ふに忍びざるものあり、其行為には議すべきものありといへども、其志は朝旨を遵奉して幕政を革め、外侮を禦がむとするにありき、然るに事志と違ひ却て慶喜公の旗下に降服して、遂に幕府の為に敦賀に刑せらる、心ある者誰か痛惜せざらむや、明治二十四年、朝廷武田・藤田等の諸士に位を贈りて其忠悃を追賞せられ、寃魂始て黄泉の下に伸び、精忠永く青史の上に顕る、然るに此二士は其名だに伝はらず、空しく寒烟荒草の下に朽ちむとす、村人の之を歎きて貞石に刻せむとするは固より美挙といふべきなり、回顧すれば当時余は、慶喜公の軍に従ひ海津に在りて筑波勢の入京を防止せむとせし者なり、今二士の為に此文を作る、実に奇縁といふべく、書に臨みて中心今昔の感に堪へざるなり
  大正七年九月
                  青淵 渋沢栄一 撰并書



(裏)
13DSC_2881.jpg
血洗嶋中建之




薬師堂
血洗島の薬師堂

埼玉県 深谷市 血洗島
Qrcode血洗島薬師堂
(Mapion地図にアクセス)





撮影:2020年12月1日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED



日本再発見 天狗党の乱
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河田菜風翁碑

記事 NO.7458    彩2020 河田菜風翁碑の漢文碑

2020年10月28日訪問
中瀬の吉祥寺 (深谷市)


河田菜風翁碑
建立年 明治23年8月

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文政4(1821)年11月13日 榛沢郡中瀬村(現在の深谷市中瀬)
河田十郎右衛門(かわたじゅうろうえもん)の長男として生まれ
諱を嘉豊(よしとよ) 字を公実(こうじつ) 通称を半内(はんない) 
号を菜風(さいふう)と称しました

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明治13(1880)年1月3日歿 享年60
後に多数の門人によって「河田菜風翁碑」建立されました

書は友人の尾高惇忠です

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河田菜風翁碑

菜風君歿矣越二年嘉謀欲傳行實干不朽與諸友及門人圖之銘則嘱其友
荒木孝繁孝繁嘆曰君少吾九歳其死宣在吾後然不幸先逝則後事之任吾
其忍乎然吾與君篤衆所知也義難辭遂銘之叙曰中瀬村河田氏其先出新
田氏之族帰農為村著族支族蔓衍君為其一諱嘉豊字公實菜風其號考諱
嘉氏妣小林氏考克務業家資稍豊君幼就学吉祥寺為其香花地住持觀海
精於学善書法適辭職而處開塾誨徒君入之焉岐嶷異衆師期其大成後果
如其言考老承家専事讀書黽勉不倦旁善詩文最長於書遂變𦾔習一以古
法為旨就君学者端楷有法性倹素不好紛華常與野人處客到劇談竟日人
皆愛重焉或漫遊四方訪雅人所至見重晩構一室多集書籍倚几且讀且詠
或揮翰応請請者日衆如此數年會罹疾終不起人無不惋惜時明治十三年
一月三日得年六十娶島田氏有三男即嘉謀次嘉猷次夭女一人已嫁君之
在也人無不知而亡也人無不惜惟其然矣顧能果然者誰歟
   到哉業也 翰墨之良 翩々姿態 優入晉唐
   雖隠田野 何遜大方 斯勒貞珉 永傳遺芳

 明治二十三年六月   友人 天外荒木孝繁撰
            東京 伊東南堂篆額
            友人 藍香尾高惇忠書   田野祐修鐫



「河田菜風翁碑」 題額:伊東南堂
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(裏)
05DSC_0392.jpg

明治二十三年 八月 門弟子等建




関連記事:桃井可堂塾


長勢山 吉祥寺
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埼玉県 深谷市 中瀬410
Qrcode吉祥寺
(Mapion地図にアクセス)





撮影:2020年10月28日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED



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田島武平君墓表

記事 NO.7444    彩2020 伊勢崎市境の漢文碑

2020年10月30日訪問
島村田島家墓域 (伊勢崎市)


田島武平墓碑
建立年 大正元年11月

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幕末から明治にかけて
島村の村政 蚕種業の指導者であった
田島武平の墓表

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題額「田島武平君墓表」
澁澤榮一

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田島武平君墓表

蚕之為物躯小功大黼黻之貴錦繍之美皆其所出而其質之良否一帰乎飼養縿繹之巧拙蚕糸之業亦大矣哉上毛古来長于蚕糸其名洽布於海之内外而尽瘁其業報国家者不乏其人田島武平其錚錚者也君歿之三年従兄渋沢喜作擕其状来請表於其基蓋以喜作妻君之妹也君諱保寿通称武平以天保四年癸巳生于上野国佐位郡島村田島家五世武兵衛保信長子也母栗原氏君幼失怙恃為王父母所鞠育稍長継家専尽心養蚕学奥之信夫伊達地方飼養法刻苦精研大有所得焉明治二年己巳為名主尋為郷長見許佩刀三年庚午為蚕種製造人大総代其年創立島村勧業会社奨励蚕種製造法四年辛未
后宮始設蚕室於吹上御苑君奉命供技師及工男女数名成蹟甚宜八年乙亥為蚕種製造組合頭取九年丙子踏査野州鬼怒川思川両岸開桑田起蚕室産出年加焉其年為群馬県養蚕世話掛重立取締十一年戊寅群馬県勧業世話掛兼農事通信委員十二年己卯為群馬県島村戸長尋挙勧業会社副頭取専努養蚕十三年庚辰航欧洲為輸出蚕種之計翌年赴北海道試蚕種之業十八年乙酉西郷農商務卿賞其夙改善蚕種同業洽恵功労甚大賜金若干尋挙群馬県会議員四十一年戊申冬罹疾荏苒不愈四十三年庚戌六月十六日歿于家享年七十有八仏諡曰達観院畯毅精徹保寿居士妻福田氏挙五男六女長子格平分産別居次渾一立平九一賛一皆夭長女舒為叔父林平所養次実夭次道次仲夭次稲栄皆分産養姪栗原文八郎以道配之嗣家是為今代武平君以蚕桑立志大興公利至使天下蚕業家知上毛島村有無其人可謂能達観内外発揚郷国之精粋者矣
  大正元年壬子十一月下澣
         従三位勲一等 男爵 渋沢栄一 撰并書



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関連記事   田島武平宅



田島武平君墓表
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群馬県 伊勢崎市 境島村
Qrcode田島武平君墓表
(Mapion地図にアクセス)





撮影:2020年10月30日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED



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南畭田島翁養蚕興業碑

記事 NO.7441    彩2020 養種輸出のリーダー

2020年10月30日訪問
田島弥平旧宅周辺 (伊勢崎市)


南畭田島翁養蚕興業碑
田島弥平顕彰之碑

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南畭田島翁養蚕興業碑

   參謀總長大日本農會頭陸軍大将大勲位賜頸飾菊花章功二級彰仁親王篆額
壬申春 皇后養蠶於吹上後數年 皇太后亦養蠶於青山並命群馬縣廰選蠶婦及可任其監督者縣下佐位郡島邨人南畭翁膺其選與妻女率蠶婦十餘人入京以従事是擧也非特飼養傳法桑房蠶室棚窓筐箔一切工事亦聽翁経晝燥濕得宜成繭甚美兩 宮嘉之賚以金帛夫四海廣矣人民衆矣精此道者不為不多而翁獨受恩榮寧可無其所以乎哉翁家世業農桑尤専精蠶事舊法飼蠶用温室翁百方經驗悟其非曰是違天候害於生育文久癸亥改築蠶室高屋三層四面開窓以通風氣従是歳歳豊熟製蠶連販之外國以収巨利時覇府勢衰武人主攘夷欲劫制商賈禁互市翁泰然不動曰我謀富國死非所畏既而明治中興懐遠政行懋遷有無因増築蠶室更造器具又與族人武平等買地於野州絹川之西開桒園建屋宇製蠶連其品位殆不譲島邨先是島邨人相議設勧業社官亦設蠶種製造大總代於各縣翁以本縣大總代兼宇都宮縣大總代又為勧業社長己卯冬携社員所製蠶連五萬紙航海從北米経英法至意國相貿易以弘其販路戊子秋送致家製蠶繭於法國大博覧會得銀牌及金字簿記念章癸己夏又致之米国大博覧會得優等褒章於是聲譽籍籍傳海内外四方来取法焉者益多所著養蠶新論正續二編世人奉為寶典盖出口貨物金額最多者特推蠶絲則翁之所為非獨利於己而利於國家是故官賜褒書賞牌及金銀前後八次最後壬辰冬十月五日賞勳局總栽西園寺矦奉 勅授緑綬章賞其功郷黨喧傅郊迎相賀翌月四日開盛宴於伊勢崎知縣以下士庶老少来會者一千人贈詩作頌交起進觴鳴呼翁功如此不可以不傳也翁名邦寧字子寧通稱弥平別號南畭父曰定儀字棣卿勤儉興家有才學翁繼遺風執業餘暇弄文墨郷校之建捐貲助工闔境向學與有力焉今茲甲午年七十有三老而益壯其女阿民孝養匪懈欲建碑紀功以代壽詞遠馳書幣来乞余文固辭不聴乃徍訪之家在利根河上桑田彌望奴婢數十人所蔵近世名家書幅積累盈庫亦稱蠶桒功者居多土人號為養蠶長者夫生先於我謂之長者徳厚行修謂之長者而多財多福俚俗謂之長者今翁兼此三者是亦可傳矣

明治廿七年八月 勅撰議員錦雞祗候正四位勳四等文學博士 川田 剛 撰

        勅撰議員錦雞祗候正四位勳三等     金井之恭 書

                           井龜 泉 刻字



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弥平が携わった宮中御養蚕の栄誉や
蚕種業者としての偉大さを讃えた碑

題は「南畭(なんよ)田島翁養蚕興業碑」
娘の民(たみ)が明治27年(1894年)に建立



田島弥平顕彰碑
01DSC_0770.jpg

群馬県 伊勢崎市 境島村
Qrcode南畭田島翁養蚕興業碑
(Mapion地図にアクセス)





撮影:2020年10月30日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED



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島を守った赤レンガ

記事 NO.7438    彩2020 レンガといったら深谷

2020年10月30日訪問
田島弥平旧宅案内所 (伊勢崎市)


島を守った赤レンガ
旧島小玄関脇あります

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赤レンガのかけらと説明板

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島を守った赤レンガ

むかし、小学校のうらを、五百メートルくらい北へいった利根川のまん中に、前島という島がありました。
東西の長さ、やく一キロメートル、南北七百メートルの大きな島でした。そこには、神社や寺やたくさんの家がありました。
島小学校は、一八七三年(明治六年)八月八日、ここのお寺をつかってひらかれました。
ところが、利根川は流れがはやく、大雨がふるると水があふれ、島の人たちは、いつもきけんにさらされつづけました。とくに、流れのつよいところでは、田畑もしきちもけずりとられ(川欠け)ていきました。前島の人たちは、この川欠けをふせぐために、このレンガ塀の土手をつくりました。
一ばんつよく水のあたる西北に、長さ三百メートル、高さ三メートルの長いレンガ塀の土手をきずきました。村中がそう出でしごとにあたったそうです(一九〇八年、明治四一~四二年)。
ところが、そのよく年、一週間も雨がふりつづき、川は大こう水となり、このレンガ塀もこわされてしまいました。その後も川欠けはつづき一九一五年(大正四年)、学校も新地へうつりました。
こわれたレンガ塀は、そののち一九五一年(昭和二七年)ダイナマイトでばくはされ、水中にとびちりました。ここにあるレンガ塊かかけらは、一九八二年(昭和五七年)八月の大水で岸にうちあげられたものできねんのためにはこばれたものです。
このレンガ塊のかけらには、利根川の水にくるしみ、水とたたかってきた島のむかしの生活がきざまれています。




島小学校の創立は明治6年8月
世界遺産「富岡製糸場」創業の翌年です

143年間の歴史は2016年3月に閉じました

現在世界遺産「田島弥平旧宅」の案内所として
世界中の人々に地域の歴史と文化を発信しています




田島弥平旧宅案内所(旧伊勢崎市立境島小学校)
DSC_0761.jpg

群馬県 伊勢崎市 境島村1968-40
Qrcode田島弥平旧宅案内所(旧境島小学校)
(Mapion地図にアクセス)




撮影:2020年10月30日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED



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開​設日​: ​20​06​/3​/2​5(​土)​

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