おかま坂伝説(再話:へいへい)
おかま坂の由来を紹介します。
江戸の将軍様(三代将軍徳川家光公)がたくさんの家来をつれて
堀之内の渡し船場から
見沼の渡し船場(写真:芝川公園付近)に着いた。
片柳での狩りのためにやってきたのじゃ。
堀之内の渡し船場から
見沼の渡し船場(写真:芝川公園付近)に着いた。
片柳での狩りのためにやってきたのじゃ。
いつものように、この日も「おかま蛙」が元気よく鳴いていた。
「ゲコゲコ ガーガー ゲコゲコ ガーガー」耳をふさぎたくなるような大きな鳴き声じゃった。
将軍様は驚いた。田舎蛙のあまりにも大きな鳴き声に恐れているようであった。
「ゲコゲコ ガーガー ゲコゲコ ガーガー」耳をふさぎたくなるような大きな鳴き声じゃった。
将軍様は驚いた。田舎蛙のあまりにも大きな鳴き声に恐れているようであった。
敵に囲まれた戦陣の中にいるような気がしたのじゃろう。
将軍様が舟からおりるのをためらっていたとき、お供の者(大久保彦左衛門)が進み出て
「これは、将軍様の見沼来訪を喜んだ村人たちが歓迎しているのです。」
と将軍様に申したそうな。
将軍様が舟からおりるのをためらっていたとき、お供の者(大久保彦左衛門)が進み出て
「これは、将軍様の見沼来訪を喜んだ村人たちが歓迎しているのです。」
と将軍様に申したそうな。
それから、蛙に向かって
「もうよい。わかった、わかった。その方たちは家にさがって休め!」
と言うと、蛙たちは姿を消してしまった。
「もうよい。わかった、わかった。その方たちは家にさがって休め!」
と言うと、蛙たちは姿を消してしまった。
あたりが静まりかえると、
「アッパレ彦左衛門」
と殿様は大喜びしたそうな。
そして、この渡しを「おかま渡し」と名付け渡船運上御免の許しを出したのじゃ。
「アッパレ彦左衛門」
と殿様は大喜びしたそうな。
そして、この渡しを「おかま渡し」と名付け渡船運上御免の許しを出したのじゃ。
大宮宿から片柳村へ向かうときに「おかま渡し」を降りたところに
すぐある坂なので「おかま坂」と言われるようになったそうじゃ。
すぐある坂なので「おかま坂」と言われるようになったそうじゃ。
---参考:「片柳のむかし」片柳公民館 編集・発行-昭和63年3月30日印刷発行---
語り継がれてきた話なので、著作権はないと思われますので「片柳のむかし」をもとに再話してみました。
語り継がれてきた話なので、著作権はないと思われますので「片柳のむかし」をもとに再話してみました。
にほんブログ村埼玉情報←応援クリックお願いします。
撮影:2010年1月24日-埼玉県 さいたま市 見沼区 中川 /おかま坂
カメラ:ニコン-Nikon D80 レンズ:シグマ-SIGMA 28-70mmD 1:2.8-4
カメラ:ニコン-Nikon D80 レンズ:シグマ-SIGMA 28-70mmD 1:2.8-4