飛龍の榧
飛龍の榧(ひりゅうのかや)
児玉町指定文化財 飛龍之榧
『児玉33霊場27番札所真言宗豊山派不動院東方山龍清寺はその歴史は古く約600年前の開山と伝えられ今尚応永年間の石碑が残存する。
宝永の年暴風雨で倒壊、正徳年間当時中興の祖袋算和尚が再建せるもその後災火に遇い寺史寺宝等ことごとく焼失し、今はその手掛かりは無い。現在の伽藍は文政13年檀信徒の厚き護法尊崇の念により再建150有余年の星霜をへたり。
今から300年前上野国新田郡笠懸在に不動寺との寺があり、この寺の修業僧であった袋算はいつしか夢の中で龍神に乗り毎夜極楽世界を飛び交い楽しんでいたが、二十三夜を境に地獄世界の悪夢と変わり恐怖の毎夜となり修業も疎になったその袋算を見て師僧は「夢は誠にあら寸真の誠は己の心、修業なくして聖人になれぬ。是より西南に向かい旅に出よ。己が住む聖地があるその地に留まりこの榧の実を余の形見と思い蒔けよ。霊木となりてその地を救わん」と訓され旅に出る。羊甲の方向えと師僧の教えの通り悪い道をたどりながら7日目の夕刻紫の霧の低くたれた山里のはずれにお堂らしきものが目に入る。
たどりついてみると荒れはてた不動堂。とりあえず一夜を明かすあくる日薬師様を清め御堂を掃除して村人に堂守を乞う可して袋算はこの地を修業の地と定め苦業を重ねる事幾星霜形見の榧も見る見るうちに大木になり大量の実をつけ灯油や薬種となり村人を潤し村も不思議と栄えて本堂も再建。学の道を教えたりして村人と仲良く暮らしたという。
年老いた袋算亭々とそびえる榧にかつての己が夢見た龍神の姿を思いおこして飛龍の榧と名付けたと言う。
文 二十九世 高木正弘』 (案内板説明文より)
『児玉33霊場27番札所真言宗豊山派不動院東方山龍清寺はその歴史は古く約600年前の開山と伝えられ今尚応永年間の石碑が残存する。
宝永の年暴風雨で倒壊、正徳年間当時中興の祖袋算和尚が再建せるもその後災火に遇い寺史寺宝等ことごとく焼失し、今はその手掛かりは無い。現在の伽藍は文政13年檀信徒の厚き護法尊崇の念により再建150有余年の星霜をへたり。
今から300年前上野国新田郡笠懸在に不動寺との寺があり、この寺の修業僧であった袋算はいつしか夢の中で龍神に乗り毎夜極楽世界を飛び交い楽しんでいたが、二十三夜を境に地獄世界の悪夢と変わり恐怖の毎夜となり修業も疎になったその袋算を見て師僧は「夢は誠にあら寸真の誠は己の心、修業なくして聖人になれぬ。是より西南に向かい旅に出よ。己が住む聖地があるその地に留まりこの榧の実を余の形見と思い蒔けよ。霊木となりてその地を救わん」と訓され旅に出る。羊甲の方向えと師僧の教えの通り悪い道をたどりながら7日目の夕刻紫の霧の低くたれた山里のはずれにお堂らしきものが目に入る。
たどりついてみると荒れはてた不動堂。とりあえず一夜を明かすあくる日薬師様を清め御堂を掃除して村人に堂守を乞う可して袋算はこの地を修業の地と定め苦業を重ねる事幾星霜形見の榧も見る見るうちに大木になり大量の実をつけ灯油や薬種となり村人を潤し村も不思議と栄えて本堂も再建。学の道を教えたりして村人と仲良く暮らしたという。
年老いた袋算亭々とそびえる榧にかつての己が夢見た龍神の姿を思いおこして飛龍の榧と名付けたと言う。
文 二十九世 高木正弘』 (案内板説明文より)
高尾宮岡の景観地
世界一の腕時計
世界一大きな腕時計
2012年2月11日(土)訪問
「知名度の低い北本市に人が集まるように」と
北本市西高尾の造形家、小坂学さんが長さ約55m、文字盤の直径約12m、長針の長さ約4mという「世界一大きな腕時計」を制作しました。
4、5日に公開したところ、市民から「せっかく造ったものだから、もっと公開したら」という要望があったので急きょ追加の公開が決まったそうです。
11、12日の公開に引き続き
18、19日の2日間同市緑の駐車場で公開される予定になっています。
展示場所は、同市緑2の208。公開時間は、午前11時から午後4時まで。
関東では珍しい「北本ねぷた祭り」など、魅力いっぱいの北本市なのですが知名度が低いようです。
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撮影:2012年2月11日埼玉県 北本市 緑2-208 /宗教団体の駐車場
(C)heihei's studio 2010
(C)heihei's studio 2010
高窓の里 こだいら
日本の原風景が残る小平の里
日本の原風景に会いに行ってみませんか
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撮影:2012年2月12日-埼玉県 本庄市 児玉町小平 /高窓の里
(C)heihei's studio 2010
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