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ここにもあった渋沢栄一謹書の扁額

記事 NO.7400    彩2020 血洗島諏訪神社の目と鼻の先

2020年9月訪問
南阿賀野 葦原大神社 (深谷市)


南阿賀野葦原大神社の扁額
真新しい社殿に渋沢栄一の扁額

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平成28年10月に竣工した社殿

明治12年に改築された社殿が老朽化したため
平成の改築が行われ平成28年10月に完成しました

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旧社殿(明治12年に改築された社殿)の改築にあたっては
栄一の援助があったと思われます

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平成28年まで旧社殿の中で大切に掲げられていた栄一の扁額が
新しい社殿の扁額となっています

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子爵澁澤榮一謹書「葦原大神社」

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4年前まで暗い屋内で保存されていたため印まではっきり綺麗です

当時の姿を見ることのできる唯一の扁額です


これからは風雨にさらされ劣化が進んでいくことでしょう




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南阿賀野の葦原大神社
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埼玉県 深谷市 南阿賀野
Qrcode葦原大神社
(Mapion地図にアクセス)






撮影:2020年9月
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED



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ジャンル : 学問・文化・芸術

血洗島諏訪神社 本殿の扁額

記事 NO.7399    彩2020 血洗島の鎮守様

2020年9月訪問
血洗島 諏訪神社 (深谷市)


血洗島諏訪神社 本殿の扁額
ふるさとを大切にした渋沢栄一

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この本殿は 明治四十年九月に竣工したもので

渋沢栄一と村民が費用を折半して造営されました

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本殿の扁額

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渋沢栄一翁謹書「諏訪神社」

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正四位勲二等男爵澁澤榮一謹書

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諏訪神社修繕記念碑

 当社は、その創立の年代を詳らかにしていませんが、かつては諏訪大明神ととなえ、信州諏訪の地より勧請したものと伝えられています。江戸時代には岡部藩主安部氏の崇敬するところでもありました。
 現在の本殿は、明治四十年九月に竣工したもので、郷土の偉人澁澤榮一翁と当時の血洗島村民が費用を折半して造営されました。さらに現在の拝殿は、榮一翁がその費用を全額負担して造営され、大正五年九月に竣工したものです。以後代々の氏子により厚く崇敬されてきました。
近年におきましては、清水川の改修(平成十一年度~十六年度)、青淵公園の整備(平成十七年度~二十一年度)、県道の拡幅(平成十五年度~二十三年度)など、大工事が相継いで行われ、郷土の姿も大きく変貌し、新たな発展が望まれることとなりました。
これも偏に血洗島開創以来の先人の努力の賜であり、改めて感謝の誠を捧げたいと思います。こうした中、当社においては、代々の氏子総代長を中心に修繕整備が進められ、今日に至っています。
主なものを挙げると、次の通りです。

天皇陛下御在位六十周年記念植樹   昭和六十年  林   輻一
本殿玉垣の改修           昭和六十四年 林   輻一
本殿並びに拝殿の修繕・天神社の修繕 平成五年   笠原 経吾
社務所(ふれあい会館)の新設    平成七年   福島 菊雄
獅子頭の修繕            平成十年   吉岡  茂
境内の整備・水道の敷設       平成十三年  吉岡 利雄
拝殿屋根の葺き替え         平成十六年  澁澤 信一
水屋の修繕             平成十七年  澁澤 信一
のぼり旗掲揚器の新設        平成十八年  澁澤 信一
参道の整備             平成十九年  安澤 滋甫  
二の鳥居の修繕           平成二十年  安澤 滋甫
太鼓の修繕・獅子舞踊場整備     平成二十四年 澁澤 忠夫

平成二十五年四月からは注連縄と本坪鈴の新調・のぼり旗の修理・境内の測量・玉垣の新設・南側及び西側斜面の土留め・雑木の伐採伐根・大雪害を受けての本殿鬼瓦の新調並びに内部白壁落下の修繕等の事業を進め、いまここに完了することが出来ました。これを機に近年における修繕整備等の記録をできるだけ明らかにして石に刻み、幾多の先人の努力の跡を偲ぶとともに、これを後世へ伝えようとするものです。

平成二十六年甲午 十一月十一日 澁澤榮一翁 祥月命日の日
     血洗島諏訪神社氏子総代長  設楽政男 撰





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血洗島の諏訪神社
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埼玉県 深谷市 血洗島117-6
Qrcode血洗島諏訪神社
(Mapion地図にアクセス)






撮影:2020年9月
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
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立派な扁額とハートいっぱいの拝殿

記事 NO.7398    彩2020 彫刻扁額と猪目拝殿

2020年9月訪問
血洗島 諏訪神社 (深谷市)


諏訪神社の扁額と拝殿
渋沢栄一ゆかりの神社

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鳥居の扁額をご覧ください

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立派な彫刻が施されています
屋根まで付いています

このような立派な扁額の様式の名称をご存じの方
教えてくださ~い


澁澤榮一謹書「諏訪神社」
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村人たちの栄一翁に対する報恩がよく現れている扁額です

本殿にも栄一謹書の扁額が掲出されています(後日紹介予定)



ここからは大正5年に栄一が寄進した拝殿の写真です

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この拝殿にはハート模様がたくさんあります
日本古来から使われている猪目模様です
災いを除き 福を招く意が込められています

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猪目(ハート)模様が確認できますか

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様々なところにハートが使われています

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全部でいくつあるのでしょう?

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たくさんあるので私には数えられませんでした

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本当にハート模様がいくつあるのでしょうか?

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正確に数えると何か意味のある数字が表れるかもしれません

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ハート模様に隠された 数の謎に迫ってみるのも楽しいと思います



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血洗島の諏訪神社
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埼玉県 深谷市 血洗島117-6
Qrcode血洗島諏訪神社
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撮影:2020年9月
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
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渋沢栄一と鹿島神社

記事 NO.7397    彩2020 論語の里

2020年9月訪問
下手計鹿島神社 (深谷市)

扁額と月桂樹
鹿島神社で栄一に触れる

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少年栄一が毎日通った道
藍香塾にほど近い道沿いに鹿島神社があります

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鹿 島 神 社

 下手計の鎮守社で、拝殿には渋沢栄一揮毫になる「鹿島神社」の扁額が掲げられている。
 境内には、栄一の師である尾高藍香の偉業を称える頌徳碑が建立されている。
 この碑のてん額は徳川慶喜公の揮毫、三島毅文学博士(号 中洲)の撰文によるものである。
 今では朽木となったが、大欅の根元に湧いた神水で共同風呂が設けられていた。栄一の母、栄はこれを汲み、らい病患者の背を流したと伝えられている。
 栄一手植えの月桂樹と長女穂積歌子が植えた橘があり、その由来を記した碑がある。
    深谷市教育委員会


コロナ禍令和2年9月の鹿島神社拝殿
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扁額は拝殿に掲げられています

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渋沢栄一揮毫の扁額
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従三位勲一等男爵澁澤榮一謹書

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渋沢栄一お手植えの月桂樹
ひこばえがたくさん出てます

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男爵澁澤榮一閣下記念植樹
大正五年九月

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元気よく育ってます
葉を2、3枚失敬して カレーに入れて
渋沢栄一にあやかるのもよいですね


 関連記事

 文化遺産 藍香尾高翁頌徳碑

 鹿島神社 空洞の大欅

 下手計鹿島神社の橘



下手計の鹿嶋神社
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埼玉県 深谷市 下手計1145
Qrcode下手計鹿島神社
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撮影:2020年9月
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
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鹿島神社 空洞の大欅

記事 NO.7396    彩2020 欅の空洞の底に井戸

2020年9月訪問
下手計鹿島神社 (深谷市)

慈悲深い栄一の母
人に忌み嫌われている人に対してもやさしい

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境内に入ると屋根に守られた空洞の大欅が目に入ります

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明治40年に樹木の一部が 枯損したため 幹半ばから切られてしまいました

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鹿 島 神 社

 創立年代は不明だが、天慶年代(十世紀)平将門追討の際、六孫王源経基の臣、竹幌太郎がこの地に陣し、当社を祀ったと伝えられる。以降武門の守とされ、源平時代に竹幌合戦に神の助けがあったという。享徳年代(十五世紀)には上杉憲清(深谷上杉氏)など七千余騎が当地周辺から手計河原、瀧瀨牧西などに陣をとり、当社に祈願した。祭神は武甕槌尊で本殿は文化七年(一八一〇)に建てられ千鳥破風向拝付であり、拝殿は明治十四年で軒唐破風向拝付でともに入母屋造りである。境内の欅は空洞で底に井戸があり、天然記念物に指定されていたが、現在枯凋した。尾高惇忠の偉業をたたえた頌徳碑が明治四十一年境内に建立された。
  昭和六十年三月  深谷上杉顕彰会    (第二十二号)


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太い幹の内部には昔から井戸があります

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この井戸水は万病に効くといわれています

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そのため 境内には共同浴場があり
多くの村人がその霊水浴びに来ました

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ある日 栄一の母おえいが近所の人たちと
入浴しているところへ 女のらい患者が来ました

入浴していた人たちは みんな逃げてしまいましたが
おえいだけは後に残って 背中まで流してあげたという
慈悲深いおえいの行いが語り継がれています




下手計の鹿島神社
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埼玉県 深谷市 下手計1145
Qrcode下手計鹿島神社
(Mapion地図にアクセス)



撮影:2020年9月
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
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文化遺産 藍香尾高翁頌徳碑

記事 NO.7395    彩2020 市指定有形文化財

2020年9月訪問
下手計鹿島神社 (深谷市)

藍香尾高翁頌徳碑
尾高惇忠の徳を称えた碑

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鹿島神社は下手計村の鎮守で
栄一の師である尾高藍香の偉業を称える頌徳碑があります

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藍香尾高翁頌徳碑について

 尾高惇忠を敬慕する有志によって建てられたこの碑の除幕式は、明治四十二年(一九〇九)四月十八日に挙行されました。
 おりから桜花満開の当日、澁澤栄一はじめ穂積陳重、阪谷芳郎、島田埼玉県知事など、建設協賛者である名士多数が臨席されました。その際、尾高惇忠の伝記「藍香翁伝」が参列者一同に配布されたのです。
 碑の高さは約四・五メートル、幅は約一・九メートル、まさに北関東における名碑の一つです。石碑の上部の題字は、澁澤栄一が最も尊敬する最後の将軍、徳川慶喜によるものです。碑文は三島毅、書は日下部東作、碑面に文字を刻む細工は東京の石工・吉川黄雲がそれぞれ当たりました。
 郷土の宝物であるこの名碑を大切にし、藍香翁はじめ先人の遺徳を偲び、共に感激を新たにいたしましょう。
    平成十七年十月


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題字は 徳川慶喜によるもの

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いつまで見ていても飽きない 素晴らしい碑です

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藍香尾高翁頌徳碑

藍香尾高翁頌徳碑   従一位公爵徳川慶喜篆額
西武有君子人、曰尾高翁、々少時遭人倫之変、慈母与祖父不相協、去而不帰者数年、翁泣涕往来其間、或哀請、或幾諫、蒸々克諧以復旧、親戚郷党、莫不感称焉、嗚呼孝百行之本、自此以往、翁之進退出処、皆有功徳、物故已七年、人々追慕不已、況其門人故旧乎、乃胥謀欲樹碑於村社側以頌之、謁余文、按状翁諱惇忠、称新五郎、号藍香、尾高氏、武蔵榛沢郡下手計村人、祖曰磯五郎、父曰勝五郎、並為里正、家業農商、母渋沢氏、今男爵青淵君姑也、天保元年七月某日生翁、々少聡敏強記、独学通経史、業暇教授隣里子弟、青淵君亦就学焉、嘉永中辺警荐臻、海内騒然、翁喜水藩尊攘之説、窃与四方志士交、有所謀議文久元年襲里正、而心不在焉、慶応中以嫌疑下岡部藩獄、無幾免、既而翁悔悟攘夷未可遽行、専務殖産興業、而徳川慶喜公夙聞其名、行将用之、時公奉還大政、退大阪、誠意未上達、将陥危難、翁聞之慨然蹶起、欲有所救、到信州、則官軍既在木曾、乃還、明治元年二月入彰義隊、又起振武軍、屯飯能、与官軍戦敗、匿于家、乱已平、為静岡藩勧業属吏、亡何辞帰、家居三年、民部省辟為監督権少佑、転勧業大属、兼富岡製糸場長、十年辞之、為東京府養育院幹事、兼蚕種組合会議長翁曾得秋蚕之製於信州、伝之遠邇、皆獲大利、先是青淵君創立第一銀行、翁応嘱為盛岡支店長、土人又推為商業会議所長、傍勧製藍、励染工、後歴転秋田仙台支店長、興植林会社、二十三年刱製靛之方、得専売権、翌年以老辞職、翁助青淵君掌銀行業已十五年、功労不少、且所在為斯民授業興利、不可枚挙、遂寓東京福住街、専販藍靛、暇則矻々著述、而泰東格物学、其所最注心、毎曰名教之本、全在此、三十四年一月二日病終、享年七十有二、帰葬郷塋、青淵君以妹婿作墓銘、可謂交有終始矣、元室根岸氏、生二男五女、先亡、長男勝五郎夭、次次郎出為支族幸五郎嗣、季女配養子定四郎奉祀、余皆適人、翁天資惇誠温良、与物歓洽、有器局、処艱難能耐忍、為郷党謀最忠実、歳歉則廉価糶貯穀、有紛議則懇諭和解、其他善行不可勝記、而莫不一本於至性、豈可不謂君子人乎哉、銘曰、
  維孝為本。 学術正淳。 事君則藎。 育英則循。
  述作垂後。 名教維因。 造次顛沛。 志在経済。
  殖産刱業。 大起民利。 誰言理財。 不由徳義。
明治四十年七月
        東宮侍講正四位勲三等 文学博士 三島毅撰
        正五位日下部東作書  吉川黄雲鐫








下手計の鹿島神社
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埼玉県 深谷市 下手計1145
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撮影:2020年9月
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藍香(惇忠)ありて青淵(栄一)あり

記事 NO.7394    彩2020 深谷市指定文化財

2020年9月訪問
尾高惇忠生家 (深谷市)


尾高惇忠ありて渋沢栄一あり
尾高惇忠生家

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尾高惇忠(おだかじゅんちゅう)
天保元年7月27日~明治34年1月2日

通称は新五郎 諱は惇忠 雅号は藍香
年齢は栄一よりも10歳年上

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この家では栄一の妻となったちよ
見立て養子になった平九郎
惇忠の娘で富岡製糸場伝習工女第一号
となったゆうが育ちました

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栄一の家と惇忠の家はわずか1Kmほど
栄一は毎晩惇忠の家に通って
論語をはじめ学問を学んで帰るのが常でした

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若き日の惇忠や栄一らが
ときの尊王攘夷運動に共鳴し
高崎城乗っ取りの謀議をなしたのも
この家の二階と伝わります




尾高惇忠生家
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埼玉県 深谷市 下手計236
Qrcode尾高惇忠生家
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開​設日​: ​20​06​/3​/2​5(​土)​

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