稲荷神社の可堂桃井先生碑
記事 NO.7401 彩2020 桃井可堂の天朝組 渋沢栄一の慷概組(こうがいぐみ)
2020年9月訪問
北阿賀野 稲荷神社 (深谷市)
可堂桃井先生碑
栄一は碑陰の文を草し揮毫

桃井可堂は現在の深谷市北阿賀野に生まれました
名は儀八 雅号は可堂といいます
碑の除幕式(昭和2年10月22日)


正三位勲一等子爵澁澤榮一書
稲荷神社・菅原神社(天神社)改築記念碑

社名の扁額も渋沢栄一の揮毫によるものです

子爵澁澤榮一謹書「稲荷神社」


北阿賀野の稲荷神社

埼玉県 深谷市 北阿賀野1

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2020年9月
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED
日本再発見

(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010
2020年9月訪問
北阿賀野 稲荷神社 (深谷市)
可堂桃井先生碑
栄一は碑陰の文を草し揮毫

桃井可堂は現在の深谷市北阿賀野に生まれました
名は儀八 雅号は可堂といいます
碑の除幕式(昭和2年10月22日)

可堂桃井先生碑
慷慨国を憂ひ率先義を唱へ、時運未だ会せず謀成らずして身を殞し、英魂慰する所なかりしも、適昭代の隆運に遭ひて恩賞枯骨に及ぶ、吾が可堂桃井先生の如きは寔に生前に否にして死後に泰なるものと謂ふべし、先生諱は誠、通称は儀八、字は中道、可堂は其号なり、享和三年八月八日武蔵榛沢郡北阿賀野村に生る、本姓は福本、忠臣新田氏の後裔なり、父諱は守道、世々農を業とす、先生幼より好みて稗史野乗を読み、能く其要を記す、一日父先生に謂て曰く、汝をして大儒に就て修学せしめんと欲するも、家貧にして資なきを如何せんと、言畢りて撫然たり、先生も亦切歯涙を垂る、時に甫めて八歳なり、幾もなく郷儒渋沢仁山に就て学ぶ、仁山深く望を属す、年二十二、蹶然江戸に遊び、東条一堂の門に入り、清川八郎・那珂梧楼と併せて三傑と称せらる、業成り帷を下して教授す、名声日に揚り交道月に広し、庭瀬侯賓礼を以て先生を聘し、亀山侯も亦師事せり、嘉永六年米艦渡来し、物情騒然たり、先生感ずる所あり、藤田東湖に因りて書を水戸烈公に上らんとす、適東湖の死に遭ひて果さず、尋で米国の通商強要、安政戊午の大獄等ありて、幕政日に非なり、先生慨然職を辞して郷に帰り窃に名族岩松某を推して謀首と為し、兵を挙げて外人を掃攘し、一挙幕府を倒さんとす、某期に臨み遅疑して起たず、事漸く漏る、先生責を一身に負ひ、衆に代りて川越藩に自首す、幕府先生を江戸に檻送し福井藩邸に幽す、先生憂憤自ら食を絶ちて死す、実に元治元年七月二十二日なり、享年六十又二、巍然たる大節、真に忠臣の裔たるに恥ぢずと謂ふべし、諡して義道院猛雲至誠居士と云ふ、麻布光専寺に葬る
大正天皇登極の年、特旨を以て正五位を追贈せらる、是に於て戚族相議し駒込吉祥寺に改葬す、先生二男あり、長は之彦、畳山と号し、次は直徳、山東と号す、明治の初予大蔵省に勤務するに及び、二人を薦めて民部・大蔵両省に奉職せしめしに、頗る循吏の聞ありしが、不幸短命にして倶に世を蚤くせり、山東五男あり、長可雄は早く横浜の渋沢商店に入りて、生糸輸出の業に従ひ、季健吾は石井氏を冒して現に第一銀行副頭取たり、是亦予の推薦する所にして、倶に経済界に令名あり、忠誠の報空しからずと謂ふべし、頃日八基村教育会、碑を村社の境域に樹て、其義烈を顕揚せんとし、文を予に嘱す、嗚呼、先生と同憂の士多くは玉砕し、其子其孫亦既に地下に入りて、相見る能はざるものあり、予は郷閭先生と相近く、壮時同じく尊攘を以て念とせしも、故ありて事を共にせず、瓦全今に至る、偏に聖世の恩沢に因ると雖も、亦曷ぞ命長くして悲傷多きの歎なきを得んや、往時を追懐して悵然たること之を久しうす
昭和二年五月 正三位勲一等子爵 渋沢栄一撰并書

正三位勲一等子爵澁澤榮一書
稲荷神社・菅原神社(天神社)改築記念碑

稲荷神社・菅原神社(天神社)改築記念碑
深谷市北阿賀野一番地に鎮座する稲荷神社は倉稲魂命を御祭神と仰ぎ祀り五穀豊穣の神として先祖代々尊崇篤く現在に及んでいる。創建については風土記稿などによれば徳川氏関東に入国の頃との記述があることから四百年以上の歴史があるものと思われる。菅原神社(天神社)は宝暦十三年(一七六三)の建立と記されている。
旧社殿内の棟木や記念誌からは御殿が明治二十六年に造営され大正十五年に改築し、その後昭和五十一年に氏子延百二十人の出役による改修事業が行われたなどの記録が残されている。
境内には昭和二年に當地出身の偉人桃井可堂の顕彰碑が澁澤榮一翁により建立されている。社名の扁額も翁の揮毫によるものである。
又戦争で尊い命を国家に殉じた英霊と従軍者の扁額が昭和三十九年に奉納され平和の尊さを今に伝えている。
當神社は稲荷様として氏子に親しまれ豊作や商売繁盛・家内安全などを祈願する祭祀のみならず境内でのスポーツなど住民の交流の場として心の拠となっていた。しかし老朽化も著しく幾度となく修復も試みられてきた。
この状況を憂い平成二十五年九月地元出身の実業家石坂好男氏により両神社の改築並びに境内の整備を寄進したい旨の申し入れがあり氏子総意の下、有難くこれを拝受し、平成二十六年六月起工・平成二十七年六月竣工の運びとなった。
誠に氏子の喜び此の上なく尊崇篤くして地域の振興を子々孫々の繁栄を祈願してやまない。
茲に石坂好男氏への報徳とその功績を後世に永く伝えると共に本事業の施工業者並びに協力・奉賛頂いた全ての皆様に衷心より感謝の誠を捧げてこの記念碑を建立する。
平成二十七年六月吉日
北阿賀野稲荷神社宮司 宮壽照代
同 氏子一同
社名の扁額も渋沢栄一の揮毫によるものです

子爵澁澤榮一謹書「稲荷神社」


北阿賀野の稲荷神社

埼玉県 深谷市 北阿賀野1

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2020年9月
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED
日本再発見


(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010