モズ(雌)
領家農村センターの力石だ~
記事 NO.7813 彩2022 領家の力石
2022年1月13日訪問
領家農村センター(上尾市)
大きくて立派な力石と...
ここでも分断か?

領家大山石灯籠の両脇には 力石があります

向かって左側の力石
曲がり具合が美しいです

厚みもあり大きいです

右側の力石も重そうです

60貫以上と書かれています

「奉納 力石六十メ余 嘉永四□正月吉日 願主 吹上 遠道常蔵」
と文字が刻まれています

領家農村センターの前には
「リサイクル領家 集積場所」あり

そこにも 力石が2つあります

写真手前の石です

そしてもうひとつ

この石です

集積場所の30貫ほどの2つの力石も
「領家大山石灯籠」の傍に置いてもらいたいと思います

刻まれた文字が消えてしまった力石は
放置されていることが多いようです

失われゆく郷土および庶民の文化遺産である
貴重な力石をたくさんの方々に知っていただき
大切に保存し未来に伝えていきたいですね
領家農村センター

埼玉県 上尾市 領家189-3

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2022年1月13日
カメラ:ニコン-Nikon D7500

埼玉歴史散歩 上尾を歩く
(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010
2022年1月13日訪問
領家農村センター(上尾市)
大きくて立派な力石と...
ここでも分断か?

領家大山石灯籠の両脇には 力石があります

向かって左側の力石
曲がり具合が美しいです

厚みもあり大きいです

右側の力石も重そうです

60貫以上と書かれています

「奉納 力石六十メ余 嘉永四□正月吉日 願主 吹上 遠道常蔵」
と文字が刻まれています

領家農村センターの前には
「リサイクル領家 集積場所」あり

そこにも 力石が2つあります

写真手前の石です

そしてもうひとつ

この石です

集積場所の30貫ほどの2つの力石も
「領家大山石灯籠」の傍に置いてもらいたいと思います

刻まれた文字が消えてしまった力石は
放置されていることが多いようです

失われゆく郷土および庶民の文化遺産である
貴重な力石をたくさんの方々に知っていただき
大切に保存し未来に伝えていきたいですね
領家農村センター

埼玉県 上尾市 領家189-3

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2022年1月13日
カメラ:ニコン-Nikon D7500


埼玉歴史散歩 上尾を歩く
(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010
領家大山石灯籠
記事 NO.7812 彩2022 畔吉領家の灯籠
2022年1月13日訪問
領家農村センター(上尾市)
領家大山石灯籠
ご存じですか領家の大山灯籠行事

領家農村センター内 大石自警消防第三分団脇に
石造物がならんでいます

その中に上尾市指定有形民俗文化財の
大山石灯籠があります

上尾市内の大山灯籠の多くは木製ですが
石灯籠は市内では畔吉と領家の2か所にしかない貴重なものです

竿部正面には「阿夫利神社」と大きく書かれています
毎年7月下旬から1週間の祭祀中の初日だけ火が灯され
大山灯籠行事が行われています
詳細については
あげお文化遺産ガイドをご覧ください
↓ ↓
領家の大山灯籠行事
領家農村センター

埼玉県 上尾市 領家189-3

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2022年1月13日
カメラ:ニコン-Nikon D7500

埼玉歴史散歩 上尾を歩く
(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010
2022年1月13日訪問
領家農村センター(上尾市)
領家大山石灯籠
ご存じですか領家の大山灯籠行事

領家農村センター内 大石自警消防第三分団脇に
石造物がならんでいます

その中に上尾市指定有形民俗文化財の
大山石灯籠があります

上尾市内の大山灯籠の多くは木製ですが
石灯籠は市内では畔吉と領家の2か所にしかない貴重なものです

竿部正面には「阿夫利神社」と大きく書かれています
毎年7月下旬から1週間の祭祀中の初日だけ火が灯され
大山灯籠行事が行われています
詳細については
あげお文化遺産ガイドをご覧ください
↓ ↓
領家の大山灯籠行事
領家農村センター

埼玉県 上尾市 領家189-3

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2022年1月13日
カメラ:ニコン-Nikon D7500


埼玉歴史散歩 上尾を歩く
(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010
悪疫退散の力石
記事 NO.7811 彩2022 悪疫退散を祈願して
2022年1月13日訪問
平方 八枝神社(上尾市)
八枝神社
河岸で栄えた平方

平方の八枝神社には2つの力石があります

どこにあるかわかりますか?

祠の脇と石置き場にあります
文字が刻まれているかいないかで
力石も分断されてしまうのでしょうか?

文字の刻まれた力石は祠の脇で
台座の上に鎮座しています
文字が薄れてしまった力石は石置き場です


悪疫退散・疫病除けの八枝神社では
「どろいんきょ」という奇祭が行われます



悪疫のために悪疫退散を祈願した祭りができなくなっています
今年は「どろいんきょ」できるといいですね

(道路がブロック塀の高さにあるような錯覚写真になってしまいました)
八枝神社の前に鎮座する観音堂にも
力石が2つあります
力石を大切にしていきたいですね
八枝神社

埼玉県 上尾市 平方488

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2022年1月13日(一部2011年7月17日)
カメラ:ニコン-Nikon D7500

埼玉史跡散歩 上尾を歩く
(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010
2022年1月13日訪問
平方 八枝神社(上尾市)
八枝神社
河岸で栄えた平方

平方の八枝神社には2つの力石があります

どこにあるかわかりますか?

祠の脇と石置き場にあります
文字が刻まれているかいないかで
力石も分断されてしまうのでしょうか?

文字の刻まれた力石は祠の脇で
台座の上に鎮座しています
文字が薄れてしまった力石は石置き場です

八枝神社 上尾市平方四八八
祭神・・・素戔嗚尊、狛狗大神
上尾市の平方は、荒川の舟運における主要な河岸の1つである平方河岸があった所として知られている。 当社は、この河岸の近くに鎮座している。
当社の創建について、『明細帳』は、「元禄年中(一六八八~一七〇四)の創立にして正徳元卯年(一七一一)六月十五日再建其他不詳」と記している。しかし、明治時代に廃寺となった正覚寺に所蔵されていた元禄七年(一六九四)の「平方村寺社地御改之覚」(福田家文書)に、当社の社地が古くから除地とされていた旨が記されているため、ささやかな祠や仮宮などの形で、それ以前から何らかの祭祀が行われていた可能性が考えられる。
江戸時代までは「牛頭天王社」として祀られ、江戸時代後期には御獅子を奉斎し、悪疫退散の守護神・疫病除けの神として地元の上尾地区を始め、足立郡内、比企、入間、南埼玉の県内各郡、現東京都の西北部、旧多摩地方に信仰が広まり、村々では「平心講」という信徒組織が結成され、一時は講員数三万余人に達したと言われている。
明治初年、京都の『八坂神社』の御祭神と同じ牛頭天王をお祀りしていることから、八坂神社の枝社として『八枝神社』と改称している。
祭神は、『素戔嗚尊』並びに『狛狗大神』で、一般には『平方のおししさま』として親しまれ、各地への渡御(御獅子の巡回)は年間を通して行われてきた。この獅子頭は一説には左甚五郎の作とも伝えられるが、その確証はない。
境内にある大樹は、創建当時からあるものと伝えられ、樹齢五〇〇年から六〇〇年以上と推定される古木で、上尾市指定天然記念物として大切にされ ている。
また、毎年七月の夏祭り(祇園祭)には、水と泥(土)と人とが一体となる奇祭「どろいんきょ祭り」が、各地より沢山の見物客を集めて盛大に執り行われ、埼玉県指定無形民俗文化財に指定されている。
境内社に『疫神社』『八幡社』を祀る

悪疫退散・疫病除けの八枝神社では
「どろいんきょ」という奇祭が行われます

埼玉県指定無形民俗文化財平方祇園のどろいんきょ行事
八枝神社(大字平方488)
「平方祇園のどろいんきょ行事」は「天王様」や「夏祭」とも呼ばれ、悪疫退散などを祈願した祭りである。本来は七月一四日、一五日を祭日としたが、現在は七月下旬の日曜日に行われている。古くは旧平方村全体の行事で、上宿・下宿・南・新田の4地区を順番に神輿が渡御する形で行われてきた。大正一二(1923)年の渡御を最後に、4地区合同でのどろいんきょを含む神輿渡御は行われなくなった。その後、天王様は、4地区それぞれで神輿渡御が行われ、どろいんきょも各地区で小規模に行われる程度であった。こうした中、上宿地区は、昭和四八(1973)年にどろいんきょを本格的に復活させた。
天王様の行事では、主として八枝神社から出る普通の神輿1基と、装飾のない白木作りの隠居神輿1基の合計2基が神酒所を巡りながら渡御する。神酒所とは、渡御の途中に立ち寄り、休憩する場であり、この中で実施可能な場所を選び、どろいんきょが行われている。休憩の後、あらかじめ水を撒いてある庭などで、神輿の担ぎ手である若衆たちが、さらに水を掛けられながら隠居神輿を地面に転がし倒し、どろいんきょが始まる。隠居神輿の由来は定かではないが、この隠居神輿も担ぎ手も泥だらけになることから「どろいんきょ」と呼ばれている。
祭り当日、昼過ぎに神輿が八枝神社を出発する「お山出し」で、神輿の渡御が始まる。神輿・隠居神輿・囃子連の順に進み、神酒所のうち5か所程度で、どろいんきょを行う。
渡御の途中、隠居神輿を垂直に立て、この上に役者に扮した若者が乗り、これを曳き歩く「山車の曳廻し」や、垂直に立てた隠居神輿の上での「ひょっとこ踊り」なども行われる。午後9時ごろ、最後の神酒所を出た一行は「お山納め」となり、八枝神社に帰り神輿を返して、祭りは終了となる。
平方祇園祭のどろいんきょ行事は、いんきょ神輿を泥だらけにして転がす等、他に類例を見ない内容で伝承されており、地域的な特色を持った行事として、夏祭りの民俗的要素やその変遷を考える上で貴重な民俗行事である。
埼玉県教育委員会 上尾市教育委員会


悪疫のために悪疫退散を祈願した祭りができなくなっています
今年は「どろいんきょ」できるといいですね

(道路がブロック塀の高さにあるような錯覚写真になってしまいました)
八枝神社の前に鎮座する観音堂にも
力石が2つあります
力石を大切にしていきたいですね
八枝神社

埼玉県 上尾市 平方488

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2022年1月13日(一部2011年7月17日)
カメラ:ニコン-Nikon D7500


埼玉史跡散歩 上尾を歩く
(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010
橘神社 石祠 力石 水雷
記事 NO.7810 彩2022 平方歴史探検
2022年1月13日訪問
橘神社(上尾市)
橘神社
河岸で栄えた平方
<橘神社 御由緒>


本殿西側には
「平方村河岸出入商人衆奉納の石祠」があります

平方河岸に関係する商人たちが
享保2年(1717)に奉納した石祠です


石祠の前には「力石」があります
力石の傍にあった木は枯れてしまったのでしょうか
根元の部分が残っています

「奉納力石 享保十乙巳年」と刻まれています
享保10年(1725) 約300年前に奉納された力石です

そして 力石の近くには
おきまりの謎の小さい石

鳥居の脇に丸い石が置かれています
この神社にはもう一つ謎の丸いものがあります
本殿の東側にあります
▽

大きな丸い物体

日露戦争で使われた水雷 今でいう機雷でしょうか?
橘神社

埼玉県 上尾市 平方2124

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2022年1月13日
カメラ:ニコン-Nikon D7500

埼玉史跡散歩 上尾を歩く
(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010
2022年1月13日訪問
橘神社(上尾市)
橘神社
河岸で栄えた平方
<橘神社 御由緒>

橘神社 上尾市平方二一二四
祭神・・・素戔嗚尊
当社の本殿の背後には、樹齢約八〇〇年と推定され、幹周り五・七五メートル、高さ二〇メートルにも及ぶ欅の巨木(市指定天然記念物)がそびえている。遠望するとこの欅が当社の神籬(神の依り代)のようにも見え、その威容は、まさに御神木と呼ぶにふさわしい。
元禄七年(一六九四)の「枚方村寺社地御改之覚」(福田家文書)によれば、当社には文明三年(一四七一)銘の額(現存しない)がある旨が記されていることから、それ以前の創立であることがわかる。また、口碑に創建当初は現在の平方小学校の東の「氷川山」と呼ばれる所にあったとも、平方新田の字在家にあったとも伝えられる。しかし、当社が当地に移った時期については伝えがなく、また、境内の大欅の樹齢から考えても、遷座があったとしても相当昔のことであろう。
『風土記稿』平方村の項に、「氷川社 村の鎮守なり」と記されているように、当社は元来は平方だけの鎮守であったが、明治四十年に平方地内の稲荷・神明の二社、及び西貝塚の村社稲荷社、上野の村社神明社、上野本郷の村社稲荷社、平方領領家の村社氷川社を合祀し、社号を「橘神社」と改めた。その社名はかつてこの辺りを橘の里と称していたことにちなむものである。本殿及び拝殿はこの合祀を機に建立されたもので、古い本殿は同じ大字内の八枝神社に移され、今も同社の本殿として使われている。
氏子区域は平方・上野・平方領領家・上野本郷・西貝塚の五大字で、年間の祭典は正月の歳旦祭、二月の祈年祭、十月の例大祭(お日待ち)、十一月の新嘗祭の四回である。
境内社に「稲荷社」「三峯社」「天王社」「水神社」「神明社」「疱瘡社」「天神社」「雷電社」「琴平社」「愛宕社」を祀る。

本殿西側には
「平方村河岸出入商人衆奉納の石祠」があります

平方河岸に関係する商人たちが
享保2年(1717)に奉納した石祠です

上尾市指定有形文化財平方河岸出入商人衆奉納の石祠
橘神社(平方2124)
平方河岸は、荒川にあった河岸場で、近世には岩槻や原市方面から川越を経て多摩方面へ通じる、脇往還筋にある渡船場としても機能する交通の要衝だった。河岸場の歴史は古く、寛永一五(1638)年以前には既に成立していたと考えられている。
江戸へ送る年貢米の集荷先として、平方周辺の村々の他、南村、久保村、原市村などの幕府直轄地や、弁財村、戸崎村、上瓦葺村などの旗本知行地といった地域からも広く利用され、大正時代末まで大変栄えていた。
3基並んだ石祠のうち、中央の神明社が指定の石祠で、明治四〇年代に河岸場から橘神社に移された。左側面の銘文によると、平方村及び平方河岸に出入りする商人衆によって、享保二(1717)年に造立・奉納されたものであることが分かる。また右側面には、宝永六(1709)年に祈願して以来、平方河岸が大神宮の神徳により繁栄したことのお礼と、今後の輸送の安全と一層の発展を願う奉納の趣旨が記されている。
江戸時代中期からの江戸との経済関係、いわゆる江戸地廻り経済による商品流通によって発展した平方河岸の隆盛を伝える、数少ない貴重な歴史資料である。
上尾市教育委員会

石祠の前には「力石」があります
力石の傍にあった木は枯れてしまったのでしょうか
根元の部分が残っています

「奉納力石 享保十乙巳年」と刻まれています
享保10年(1725) 約300年前に奉納された力石です

そして 力石の近くには
おきまりの謎の小さい石

鳥居の脇に丸い石が置かれています
この神社にはもう一つ謎の丸いものがあります
本殿の東側にあります
▽

大きな丸い物体

日露戦争で使われた水雷 今でいう機雷でしょうか?
橘神社

埼玉県 上尾市 平方2124

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2022年1月13日
カメラ:ニコン-Nikon D7500


埼玉史跡散歩 上尾を歩く
(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010
上尾歴史散歩「平方河岸」
記事 NO.7809 彩2022 平方の歴史を伝える
2022年1月13日訪問
平方(上尾市)
平方河岸と町並み
河岸で栄えた平方

平方河岸の歴史やその周辺の文化財について
まとめた案内板が橘神社の入口にあります
詳しくみていきましょう



地図の下方には観音堂が確認できます

河岸場付近の様子が細かく記されています
▽

当時の河岸の賑わいの様子が伝わってきます
貴重な平方の遺産が時に埋もれる事なく
次世代へ伝わっていくことでしょう
「力石」についての説明がないのが ちょっと残念でした
撮影:2022年1月13日
カメラ:ニコン-Nikon D7500

埼玉史跡散歩 上尾を歩く
(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010
2022年1月13日訪問
平方(上尾市)
平方河岸と町並み
河岸で栄えた平方

平方河岸の歴史やその周辺の文化財について
まとめた案内板が橘神社の入口にあります
詳しくみていきましょう

平方河岸の成り立ち
「河岸」とは船着場を指し、船による物資の輸送が盛んだった時代に、積み荷の上げ下ろしが行われた場所であった。平方河岸も、荒川の中流域にあたる平方に設置された河岸で、対岸は川越の老袋である。ここは岩槻や原市方面から川越方面へ渡るための渡船場もある交通の要衝であった。
平方河岸の歴史は古く、記録から江戸時代初期にあたる寛永一五(1638)年以前には成立していたと考えられている。また、平方河岸の舟運を利用した積み出しの最も古い記録である『年貢請取証文』(島村家所蔵大和田村文書)には、天和二(1682)年に平方河岸の問屋・甚五兵衛が大和田村(さいたま市)からの物資を、平方から江戸に送っていたと記されている。このように平方河岸は、江戸へ物資を輸送する集荷先として、平方だけでなく、その周辺の村々からも広く利用されていた。

河岸の賑わい
江戸時代後期に記された平方村の記述によると、船の数は常に9艘と定められ、荒川を通る船が集まる所として、既に賑わっていたとある。年貢の他に穀類や醤油、酒などの商品も上げ下ろしされ、上尾や桶川で盛んだった紅花の輸送も、陸送よりも安価だった舟運が多く利用された。
明治初めには船は18艘まで増え、6軒の船積問屋が活動していた。明治から大正にかけては、下宿・上宿の町場化がより進んだ時期であり、A銀行B煉瓦工場C醸造所をはじめとした、様々な工場や店舗が並んでいた。明治二〇(1887)年には、荒川流域の河岸場で最大の繁栄を誇っていた戸田河岸を上回る取引額を記録している。
昭和期に移ると、鉄道やトラックによる陸上輸送の発達などにより、舟運のための河岸場は終焉を迎えるるが、河岸が長きにわたり周辺地域に与えた影響は大きく、現代の町並みにもその名残を見ることができる。

地図の下方には観音堂が確認できます

河岸場付近の様子が細かく記されています
▽

当時の河岸の賑わいの様子が伝わってきます
貴重な平方の遺産が時に埋もれる事なく
次世代へ伝わっていくことでしょう
「力石」についての説明がないのが ちょっと残念でした
撮影:2022年1月13日
カメラ:ニコン-Nikon D7500


埼玉史跡散歩 上尾を歩く
(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010