元荒川堤桜並木(越谷市)
記事 NO.7850 彩2022 桜花盛り
2022年3月28日訪問
元荒川(越谷市)
堤の桜並木
およそ350本のソメイヨシノ

北越谷第五公園から大沢橋までの約2Kmの桜並木

堤の桜が満開です





北越谷桜まつりは中止です
元荒川堤桜並木

埼玉県 越谷市
撮影:2022年3月28日
カメラ:ニコン-Nikon D7500

埼玉を歩こう 桜散歩2022
(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010
2022年3月28日訪問
元荒川(越谷市)
およそ350本のソメイヨシノ

北越谷第五公園から大沢橋までの約2Kmの桜並木

堤の桜が満開です


元荒川堤桜並木の由来
老若男女が挙って桜の花の下で酒宴を開くのは日本独自の文化で、他国に例を見ない。奈良時代の「万葉集」に梅が百十首、桜が四十三首詠われ、当時は外来の梅がもて囃されたが桜が一般的になったのは、元禄(一七世紀末)の頃といわれる。
天海僧正が上野の山に大和の吉野山と同じように吉野桜、山桜、八重桜を植樹、江戸一番の桜の名所となった。八代将軍吉宗は享保五年(一七二〇)王子の飛鳥山に一二七〇本の桜を植え、自らも花の盛りにどんちゃん騒ぎの宴を催したという。他に隅田川畔木母寺(もくぼじ)と寺島の間の大堤や品川御殿山にも植樹された。
越谷では日露戦争(一九〇五)の戦捷記念として瓦曽根から寺橋までの土手通に植樹され最盛期の川面に映える桜は見事であったが、瓦曽根溜井が埋められたり道の拡幅等により昭和三十年頃には姿を消した。
更に紀元二六〇〇年(一九四〇)越ヶ谷町青年団が寺橋から東武鉄道の鉄橋までの土手に戦意高揚の為「興亜の桜」と名付け植樹したが伐採されたりして今は無い。この桜並木は昭和三十一年(一九五六)宮本町大野寛人氏が当時の越ヶ谷町商工会長中川多四郎氏並びに松村武平治氏と相計り桜苗木一二〇〇本を寄贈。神明町桃木源之助氏他八名の労作により元荒川両側に植樹されたものです。
爾来、越谷市、越谷市商工会、越谷市観光協会、地元住民の方々の捕植ならびに維持管理により愛育され今日の隆盛をみたものであります。
春風にちらふ桜を河ぞひのを田の蛙も鳴きてとどめよ 加藤 千蔭
平成二十年四月 越谷観光協会 北越谷桜並木保存会
寄贈・文責 宮本町 大野光政



北越谷桜まつりは中止です
元荒川堤桜並木

埼玉県 越谷市
撮影:2022年3月28日
カメラ:ニコン-Nikon D7500


埼玉を歩こう 桜散歩2022
(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010
駐車場の枝垂れ桜
桃の花咲く道
ぽかぽか木曜日 桃の花満開
将軍桜と謎の石
記事 NO.7846 彩2022 将軍櫻と石
2022年3月21日訪問
慶福寺(蓮田市)
慶福寺の将軍櫻
五分咲き

将軍桜が見ごろを迎えました

3~4日で満開です

徳川家ゆかりの江戸彼岸桜です

毎年春の彼岸頃
優美な花姿を見せてくれます

ガラスに映る姿も風情があります

あまりの美しさに時間を忘れてしまうほどです
さて 境内には様々な石がありますが

来るたびに気になる石があります

力石のようにみえる 謎の石です

この石について ご存じの方はコメントをください
天台宗蓮台院 中應山慶福寺

埼玉県 蓮田市 蓮田4-104
撮影:2022年3月21日
カメラ:ニコン-Nikon D7500

埼玉を歩こう 桜散歩2022
(C)heihei's studio 2010
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2022年3月21日訪問
慶福寺(蓮田市)
五分咲き

将軍桜が見ごろを迎えました

3~4日で満開です

徳川家ゆかりの江戸彼岸桜です

毎年春の彼岸頃
優美な花姿を見せてくれます

ガラスに映る姿も風情があります

あまりの美しさに時間を忘れてしまうほどです
さて 境内には様々な石がありますが

来るたびに気になる石があります

力石のようにみえる 謎の石です

この石について ご存じの方はコメントをください
天台宗蓮台院 中應山慶福寺

埼玉県 蓮田市 蓮田4-104
撮影:2022年3月21日
カメラ:ニコン-Nikon D7500


埼玉を歩こう 桜散歩2022
(C)heihei's studio 2010
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