保存処置された大きな石
記事 NO.7909 彩2022 暑い夏の石めぐり
2022年7月9日訪問
砂原鷲神社(加須市)
砂原 鷲神社の力石
旧大利根町

拝殿前には保存処置された力石が2つ

説明の文章の中には ちょっとしたミスがありますが
立派な説明板です


保存処置がなされていなければ
大きな石と区別がつかなくなってしまいます

先人の人たちの宝の石を大切にしていきたいですね

ちょっと紛らわしいのですが
加須市砂原には鷲神社がもうひとつあります
十軒農民センター隣の鷲神社です
砂原 鷲神社

埼玉県 加須市 砂原2085
撮影:2022年7月9日
カメラ:ニコン-Nikon D7500

2022年7月9日訪問
砂原鷲神社(加須市)
旧大利根町

拝殿前には保存処置された力石が2つ

説明の文章の中には ちょっとしたミスがありますが
立派な説明板です

砂原鷲神社の「力石」については、当地区の先人たちが使用していたという由来を後世に伝承するため、此処に保存するものである。
1力石とは
石の形は表面が滑らかな楕円形が多い。滑らかな石は持ち上げにくいが体に傷をつけずにすむ。ほとんどの力石は60キログラムより重い。米俵より軽くてはわざわざ石を用意する意味がないとという事であるらしい。上限は様々で、中には300キロに達するものもある。
当神社の力石は、大きい石が「110キログラム」小さい石が「100キログラム」である。
あまりに重い石は一人で持ち上げることは不可能だが、それはそれで別の挑戦方法がある。人々は、山や川原で手ごろな大きさの石を見つけて村に挑戦方法がある。人々は、山や川原で手ごろな大きさの石を見つけて村に持ち帰り、力石とした。重さが異なる石を複数用意することが多かった。置き場所は神社や寺社、空き地、道端、民家の庭など様々であったが、若者が集まる都合のよい場所であった。石に文字を刻むことも盛んに行われた。力石という普通名詞としての名のほか、石に与えられた固有名を刻んだものがある。また、持ち上げた人の名と年月日を記念に刻んだものもある。しかし大半は無銘で、慣習と記憶が薄れるとただの大きな石と区別がつかなくなる。
2力持ち・力試し
江戸時代から明治時代にかけては力石を用いた力試しが日本全国の村や町でごく普通に行われていたとのことである。
力石を持ち上げることを、力持ち、力試し、石抱え、担ぎ上げ、盤持ち(ばんもち)などという。典型的には石を抱えて持ち上げる。持ち上げ方は、胸まで、肩まで、頭上まで、体に付けずに、など様々である。また持ち上げてから担いで歩いたり、体の周りを回したりすることもある。石に縄をかけて持ちやすくしたり、非常に重いものでは石が地面を離れればよしとしたり、倒れている石を引き起こせば良いとするなど、石の重さと個人の体力に応じて様々な条件と目標があった。力試しに挑戦するのは、村の若い男であった。娯楽が少なく力仕事が多い時代には、力持ちは若者のスポーツの一環であった。通過儀礼的に、力石を持ち上げると一人前とみなされた村もある。しかし過去に一、二の人しか持ち上げられなかったという石もあり、力試しの位置づけもまた多様である。
平成26年3月吉日 鷲 神 社

保存処置がなされていなければ
大きな石と区別がつかなくなってしまいます

先人の人たちの宝の石を大切にしていきたいですね

鷲神社の概要 大利根町郷土史
鷲神社と浅間神社を相殿に祀る。十軒地区を除く本田耕地を氏子とする。所在地は大字砂原字木原二〇八三-一 神主中山道子、社守金子清、総代四名で運営祭神名、天穂日命(鷲神社)、木花開耶姫命(淺間神社) 祭日、一月元旦、四月十五日、七月十五日(天王樣)、十月十五日
境内の面積、一九一九㎡、創立万治元年(一六五八)、再建宝暦六年(一七五六)、改築 茅葺屋根を瓦葺に、昭和十五年十月 (一九四〇)、新築多大奉賛金を頂き、平成十六年(二〇〇四) 完成し現在に至る。
由緒 武蔵風土記稿、鷲明神社は村の鎮守なり西浄寺持、 武蔵国郡村誌、社地東西十三間五分、南北二十九間九歩、面積四〇五坪、村の戌の方字本田古堤の傍に有り、天穂日命を祀るとある。
口碑 淺間神社境内に鷲神社を祀ったとも言はれている。拝殿は一つで、内部は流れ造りで両社の本殿が相殿で祀られている。両社とも内陣には 舍幣と木造の神像が納められてある。鷲神社の神像は座像で東帯姿三十五㎝程の寄木作りで、台座裏には墨書で「向川辺領砂原村鎮守鷲大明神尊体也村中安全祈別当敬白干時 寛政七乙卯大九月」武州埼玉郡砂原村別当敬白現住法印淳雅と記してある。淺間神社の神像は、光背をつけた菩薩像で寛政十年(一七九八)西浄寺住職によって作られたと有る。
舍幣はともに金幣である。内部に有る額は宝暦六年九月、江戸長谷川町在住忠兵衛再建奉納とある、絵馬万延元年藤原親信 天の岩戸他六点有る。
祭、元旦、春、夏、秋、年四回、金子氏をはじめ世話人、氏山一四〇戸集って、神主を招き、家内安全 地域繁栄を祈願して、のち盛大に御神酒祭が行はれる。夏祭は悪疫退散を願い地域全体の御輿渡御が行なはれる。
境内には淺間神社、富士登山社殿改築等の記念碑がある。
ちょっと紛らわしいのですが
加須市砂原には鷲神社がもうひとつあります
十軒農民センター隣の鷲神社です
砂原 鷲神社

埼玉県 加須市 砂原2085
撮影:2022年7月9日
カメラ:ニコン-Nikon D7500

