塙保己一(はなわほきいち)
盲目の国学者 塙保己一
塙保己一は、延享三年(1746)5月5日、武蔵国児玉郡保木野村(現在、埼玉県本庄市児玉町)に、父荻野宇兵衛、母きよの長男として生まれました。
うき島が
原にて
原にて
百年祭記念碑
題額:渋沢栄一
塙先生 百年祭記念碑
碑文
贈正四位塙保己一先生は東西に例なき偉人なり この村よりかくの如き偉人を出しゝは真にこの村又この郡の名誉ともいふべし 大正十年はこの偉人の歿後一百年に当れるを以て郡の有志相謀りて遺蹟保存会を組織し記念祭典を行ひ尚あまねく全国の賛同を仰ぎて記念館を建設し又この碑をも立つることとなせり 今より後学生は教師に引率せられて次々に見学に来るなるべく遊覧者は遺物の展観を楽みとして遠近より尋ね寄るなるべし さても始めてこの地に遊ぶ人の感想や何如 偉人の出生地としては余りに平凡なりと失望する人もあらん この片田舎の目無し子がよくも学問に心を寄せしよと不思議に思ふ人もあらん 目明人も読得ぬ千万巻の古書を読みもし版にもして世を益せられしは人間業とも覚えずとて今更にその偉業に舌を巻くもあり 飛騨工ほめて造れる真木柱の一たび立てし志は動かず撓まず神明に盟ひし初一念を晩年に成遂げられし意志の強きをこれぞ成功の秘訣なるべきとて誉めたゝふるもあり 常人の堪ふべくもあらぬ困難辛苦に打克ちて世に不可能といふ語なきことを示されたるぞその一生なりける 非凡といひ超人間といふは当らずとてひたすらにその努力に感じ入るもあり 今の世にいふ学齢にも達せぬ齢にて早くも両眼を失ひながらかくも前代未聞の大業を成就せられしはこれすべて心眼の力にあらずや 心眼の光は齢とともにや加りけんと専ら頭脳の威力を歎美するもあり 或はその逸話を談じ或はその著述を数ふるなど十人十色音に聞きつる偉人の旧蹟を今まのあたりに蹈見ては古き記憶も新しく呼覚さるべく新しき印象は更に新しき感想をも生むなるべし こゝに一つの忘るべからざるものこそあれ そは当時の一盲少年を動かして他日の大学者たらしめし原動力なり この原動力が葦牙のごとく少年の胸に萌初めしは何時の事とも知らざれどもその成長は極めて速かにして忽ちに心の全部を占めはては炎とも燃上らんとせり 少年を江戸へ誘ひ去りて国学の門に導き入れしもこの力なり 身の不具者たるをも忘れて叢書刊行の大願を思ひ立たしめしもこの力なり 古史を研究し古典を整理し我が古代文化の闡明に勉めたる一盲書生は終始一貫この力に刺激せられ激励せられて五十余年一日も倦まず遂に一世の大家となりて不朽の功績を遺したるなり かの一心不乱や堅忍不抜や勢力絶倫や皆この力の発現活動に外ならざりしなり この力そは何ぞ 尊皇愛国の精神即ちこれなり この精神の一念凝づて文献学の方面に具体化せられたるは即ち先生の事業なり もしこの精神にして先生の心霊に触るゝことなかりせぱ先生は唯僻村の一盲人にて終りしなるべく世界人を驚かせる群書類従の編纂も印行ももとより行はれざりしなるべく百年後の今日の日本も現状の日本とは異なりしなるべし 今は昔この郡この村に盲目の少年ありけり その心眼の光は今も尚学界を照し世界を照せりと言はゞ人或は謎かとも思はん されどこは謎にもあらず空想にもあらずして疑ふべからざる史実なり この史実が未来永劫にわたりて国民に与ふる教訓と感化とは至大至高なるものあらん 来りてこの碑の下に立たんものは偉人の学徳を追懐するとともにこの偉人をはぐくみ出でたる国家的精神の更に偉大なることをも認むべきなり
大正十一年九月十二日
大正十二年四月十二日
贈正四位塙保己一先生遺蹟保存会建之
題額:渋沢栄一
塙先生 百年祭記念碑
碑文
贈正四位塙保己一先生は東西に例なき偉人なり この村よりかくの如き偉人を出しゝは真にこの村又この郡の名誉ともいふべし 大正十年はこの偉人の歿後一百年に当れるを以て郡の有志相謀りて遺蹟保存会を組織し記念祭典を行ひ尚あまねく全国の賛同を仰ぎて記念館を建設し又この碑をも立つることとなせり 今より後学生は教師に引率せられて次々に見学に来るなるべく遊覧者は遺物の展観を楽みとして遠近より尋ね寄るなるべし さても始めてこの地に遊ぶ人の感想や何如 偉人の出生地としては余りに平凡なりと失望する人もあらん この片田舎の目無し子がよくも学問に心を寄せしよと不思議に思ふ人もあらん 目明人も読得ぬ千万巻の古書を読みもし版にもして世を益せられしは人間業とも覚えずとて今更にその偉業に舌を巻くもあり 飛騨工ほめて造れる真木柱の一たび立てし志は動かず撓まず神明に盟ひし初一念を晩年に成遂げられし意志の強きをこれぞ成功の秘訣なるべきとて誉めたゝふるもあり 常人の堪ふべくもあらぬ困難辛苦に打克ちて世に不可能といふ語なきことを示されたるぞその一生なりける 非凡といひ超人間といふは当らずとてひたすらにその努力に感じ入るもあり 今の世にいふ学齢にも達せぬ齢にて早くも両眼を失ひながらかくも前代未聞の大業を成就せられしはこれすべて心眼の力にあらずや 心眼の光は齢とともにや加りけんと専ら頭脳の威力を歎美するもあり 或はその逸話を談じ或はその著述を数ふるなど十人十色音に聞きつる偉人の旧蹟を今まのあたりに蹈見ては古き記憶も新しく呼覚さるべく新しき印象は更に新しき感想をも生むなるべし こゝに一つの忘るべからざるものこそあれ そは当時の一盲少年を動かして他日の大学者たらしめし原動力なり この原動力が葦牙のごとく少年の胸に萌初めしは何時の事とも知らざれどもその成長は極めて速かにして忽ちに心の全部を占めはては炎とも燃上らんとせり 少年を江戸へ誘ひ去りて国学の門に導き入れしもこの力なり 身の不具者たるをも忘れて叢書刊行の大願を思ひ立たしめしもこの力なり 古史を研究し古典を整理し我が古代文化の闡明に勉めたる一盲書生は終始一貫この力に刺激せられ激励せられて五十余年一日も倦まず遂に一世の大家となりて不朽の功績を遺したるなり かの一心不乱や堅忍不抜や勢力絶倫や皆この力の発現活動に外ならざりしなり この力そは何ぞ 尊皇愛国の精神即ちこれなり この精神の一念凝づて文献学の方面に具体化せられたるは即ち先生の事業なり もしこの精神にして先生の心霊に触るゝことなかりせぱ先生は唯僻村の一盲人にて終りしなるべく世界人を驚かせる群書類従の編纂も印行ももとより行はれざりしなるべく百年後の今日の日本も現状の日本とは異なりしなるべし 今は昔この郡この村に盲目の少年ありけり その心眼の光は今も尚学界を照し世界を照せりと言はゞ人或は謎かとも思はん されどこは謎にもあらず空想にもあらずして疑ふべからざる史実なり この史実が未来永劫にわたりて国民に与ふる教訓と感化とは至大至高なるものあらん 来りてこの碑の下に立たんものは偉人の学徳を追懐するとともにこの偉人をはぐくみ出でたる国家的精神の更に偉大なることをも認むべきなり
正三位勲一等子爵 澁澤榮一 題額
東京帝国大学名誉教授従三位勲二等文学博士 芳賀矢一 撰
御歌所寄人正五位勲四等 坂 正臣 書
東京帝国大学名誉教授従三位勲二等文学博士 芳賀矢一 撰
御歌所寄人正五位勲四等 坂 正臣 書
児玉町 伊藤仁作 刻
大正十二年四月十二日
贈正四位塙保己一先生遺蹟保存会建之
世界的偉人とたたえられているヘレン・ケラーが心の支えとし、人生の目標とした人物こそ、塙保己一だったのです。
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撮影:2012年2月12日-埼玉県 本庄市 児玉町保木野 /塙保己一の生家付近
(C)heihei's studio 2010
(C)heihei's studio 2010