古代を巡る・八幡山古墳
古代をめぐる・八幡山古墳
古墳の紹介、第2回です。
古墳の紹介、第2回です。
古代をめぐる②
八幡山古墳(はちまんやまこふん)
八幡山古墳(はちまんやまこふん)
全体の様子です。
土が削り取られ、石室が露出してしまったみたいですね。
江戸時代より既に石室の一部が露出していましたが、1934年11月に小針沼の干拓工事で盛土が取りさられて石室が完全に露出。その様子が、飛鳥の石舞台古墳に似ていることから、考古学者の大場磐雄氏が「関東の石舞台」と形容しました。
土が削り取られ、石室が露出してしまったみたいですね。
江戸時代より既に石室の一部が露出していましたが、1934年11月に小針沼の干拓工事で盛土が取りさられて石室が完全に露出。その様子が、飛鳥の石舞台古墳に似ていることから、考古学者の大場磐雄氏が「関東の石舞台」と形容しました。
新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう・1804年~1829年、化政文化の時期に編まれた武蔵国の地誌)に横穴式石室の一部が露出し、石室内に八幡社が祀られていたことが記載されています。
いよいよ、奥室です。
奥室に人が入るとサプライズがあります。(ここでは、書きませんので行ってみてくださいね。)
奥室の天井です。
1977年の発掘調査で、絹布に漆を塗り、繰り返し重ねて作られた棺の破片(乾漆棺、漆塗木棺片)が出土しました。
乾漆棺片(夾紵棺(きょうちょうかん))の出土は、奈良飛鳥地方を中心に全国でも6例しかなく被葬者はかなりの権力者とみられています。
奥室に人が入るとサプライズがあります。(ここでは、書きませんので行ってみてくださいね。)
奥室の天井です。
1977年の発掘調査で、絹布に漆を塗り、繰り返し重ねて作られた棺の破片(乾漆棺、漆塗木棺片)が出土しました。
乾漆棺片(夾紵棺(きょうちょうかん))の出土は、奈良飛鳥地方を中心に全国でも6例しかなく被葬者はかなりの権力者とみられています。
古墳の周りが住宅や工場なので、場所が分かりにくいかも知れませんが、
たくさんの方に見てもらいたい古墳です。
たくさんの方に見てもらいたい古墳です。
カメラ:ニコン-Nikon D80 (C)heihei's studio 2010
追記:2011.8.25
大震災の影響により現在公開を中止しています。
大震災の影響により現在公開を中止しています。
追記:2012.05.04
2011年11月5日(土)より公開が再開されました。
2011年11月5日(土)より公開が再開されました。
※公開は 土、日、祭日のみです。