天下無双の力士
記事 NO.7361 彩2020 雷電について
2020年8月15日訪問
雷電くるみの里 (東御市)
力士 雷電為右衛門
愛すべき東御の巨人

雷電について簡単に説明します
天下無双の大力士雷電為右衛門は
明和四年(1767)信濃国小県郡大石村(現東御市滋野乙)に生まれました

天明四年(1784)十七才で江戸相撲に入ることとなり
恵まれた天与の素質に加えて 熱心に稽古にはげんだ甲斐あって
寛政二年(1790)には関脇に付出され優勝
寛政七年(1795)には大関に昇進し
九割六分二厘という古今最高の勝率をあげました

雷電には禁じられた手が三つありました
「張り手」「かんぬき」「突っ張り」です
これを使えば必ず相手に怪我をさせるからというので封じられました
雷電は文化八年(1811)惜しまれつつ引退しました

文政八年(1825)妻にみとられながら五十九才で没した後は
分骨され故郷大石村(現東御市滋野乙)の関家墓地に埋葬されました

現在でも雷電の力にあやかろうという参詣者が絶えません
道の駅 雷電くるみの里

長野県 東御市 滋野乙4524-1

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2020年8月15日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED
日本再発見

(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010
2020年8月15日訪問
雷電くるみの里 (東御市)
力士 雷電為右衛門
愛すべき東御の巨人

雷電について簡単に説明します
天下無双の大力士雷電為右衛門は
明和四年(1767)信濃国小県郡大石村(現東御市滋野乙)に生まれました

天明四年(1784)十七才で江戸相撲に入ることとなり
恵まれた天与の素質に加えて 熱心に稽古にはげんだ甲斐あって
寛政二年(1790)には関脇に付出され優勝
寛政七年(1795)には大関に昇進し
九割六分二厘という古今最高の勝率をあげました

雷電には禁じられた手が三つありました
「張り手」「かんぬき」「突っ張り」です
これを使えば必ず相手に怪我をさせるからというので封じられました
雷電は文化八年(1811)惜しまれつつ引退しました

文政八年(1825)妻にみとられながら五十九才で没した後は
分骨され故郷大石村(現東御市滋野乙)の関家墓地に埋葬されました

現在でも雷電の力にあやかろうという参詣者が絶えません
道の駅 雷電くるみの里

長野県 東御市 滋野乙4524-1

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2020年8月15日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED
日本再発見


(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010