鹿島神社 空洞の大欅
記事 NO.7396 彩2020 欅の空洞の底に井戸
2020年9月訪問
下手計鹿島神社 (深谷市)
慈悲深い栄一の母
人に忌み嫌われている人に対してもやさしい

境内に入ると屋根に守られた空洞の大欅が目に入ります

明治40年に樹木の一部が 枯損したため 幹半ばから切られてしまいました


太い幹の内部には昔から井戸があります

この井戸水は万病に効くといわれています

そのため 境内には共同浴場があり
多くの村人がその霊水浴びに来ました

ある日 栄一の母おえいが近所の人たちと
入浴しているところへ 女のらい患者が来ました
入浴していた人たちは みんな逃げてしまいましたが
おえいだけは後に残って 背中まで流してあげたという
慈悲深いおえいの行いが語り継がれています
下手計の鹿島神社

埼玉県 深谷市 下手計1145

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2020年9月
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED
日本再発見

(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010
2020年9月訪問
下手計鹿島神社 (深谷市)
慈悲深い栄一の母
人に忌み嫌われている人に対してもやさしい

境内に入ると屋根に守られた空洞の大欅が目に入ります

明治40年に樹木の一部が 枯損したため 幹半ばから切られてしまいました

鹿 島 神 社
創立年代は不明だが、天慶年代(十世紀)平将門追討の際、六孫王源経基の臣、竹幌太郎がこの地に陣し、当社を祀ったと伝えられる。以降武門の守とされ、源平時代に竹幌合戦に神の助けがあったという。享徳年代(十五世紀)には上杉憲清(深谷上杉氏)など七千余騎が当地周辺から手計河原、瀧瀨牧西などに陣をとり、当社に祈願した。祭神は武甕槌尊で本殿は文化七年(一八一〇)に建てられ千鳥破風向拝付であり、拝殿は明治十四年で軒唐破風向拝付でともに入母屋造りである。境内の欅は空洞で底に井戸があり、天然記念物に指定されていたが、現在枯凋した。尾高惇忠の偉業をたたえた頌徳碑が明治四十一年境内に建立された。
昭和六十年三月 深谷上杉顕彰会 (第二十二号)

太い幹の内部には昔から井戸があります

この井戸水は万病に効くといわれています

そのため 境内には共同浴場があり
多くの村人がその霊水浴びに来ました

ある日 栄一の母おえいが近所の人たちと
入浴しているところへ 女のらい患者が来ました
入浴していた人たちは みんな逃げてしまいましたが
おえいだけは後に残って 背中まで流してあげたという
慈悲深いおえいの行いが語り継がれています
下手計の鹿島神社

埼玉県 深谷市 下手計1145

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2020年9月
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED
日本再発見


(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010