顔振峠と平九郎茶屋
記事 NO.7422 彩2020 飯能市と越生町をつなぐ峠
2020年10月24日訪問
平九郎茶屋 (飯能市)
顔振峠
飯能戦争で散った渋沢平九郎

この道を上りきったところに茶屋が見えます
顔振峠の「平九郎茶屋」です

顔振峠より武甲山を望む

「渋沢平九郎」と何か関係がありそうです


渋沢平九郎が立ち寄った茶屋より
黒山に下る道

平九郎はこの山道を下って
故郷を目指したものと思われます
顔振峠(かあぶりとうげ)

埼玉県 飯能市 長沢1562

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2020年10月24日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED
日本再発見

(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010
2020年10月24日訪問
平九郎茶屋 (飯能市)
顔振峠
飯能戦争で散った渋沢平九郎

この道を上りきったところに茶屋が見えます
顔振峠の「平九郎茶屋」です

顔振峠より武甲山を望む

「渋沢平九郎」と何か関係がありそうです

顔振峠
標高五00米、吾野駅から約四粁 黒山東武バス終点からも約四粁 此の峠は昔義経弁慶主従が余り 展望のすばらしさに顔を振り振り 眺めたので此の名がついたと云われます
明治維新の際幕軍の勇士(子爵渋沢栄一の義弟)渋沢平九郎は 飯能の戦いに破れ単身顔振峠に 落ち来り峠の茶屋にて草鞋をもとめ その代価として刀を預け店主加藤たきに 秩父路の安全なることを聞くも、遠く 故郷大里の空を見て望郷の念止みがたく すすめるお茶も飲み残し黒山に下りて 官軍に遭遇し
“惜しまるる時散りてこそ世の中は 人も人なり花も花なれ”
と辞世を残して自刃し弱冠22歳の 若桜おしくも此の峠の麓に散りました
春夏秋冬折々の関八州の 眺めはつきぬ情致豊かな峠で有ります
平九郎茶屋 加藤ツチ子

渋沢平九郎が立ち寄った茶屋より
黒山に下る道

平九郎はこの山道を下って
故郷を目指したものと思われます
顔振峠(かあぶりとうげ)

埼玉県 飯能市 長沢1562

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2020年10月24日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED
日本再発見


(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010