島を守った赤レンガ
記事 NO.7438 彩2020 レンガといったら深谷
2020年10月30日訪問
田島弥平旧宅案内所 (伊勢崎市)
島を守った赤レンガ
旧島小玄関脇あります

赤レンガのかけらと説明板

島小学校の創立は明治6年8月
世界遺産「富岡製糸場」創業の翌年です
143年間の歴史は2016年3月に閉じました
現在世界遺産「田島弥平旧宅」の案内所として
世界中の人々に地域の歴史と文化を発信しています
田島弥平旧宅案内所(旧伊勢崎市立境島小学校)

群馬県 伊勢崎市 境島村1968-40

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2020年10月30日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED
日本再発見

(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010
2020年10月30日訪問
田島弥平旧宅案内所 (伊勢崎市)
島を守った赤レンガ
旧島小玄関脇あります

赤レンガのかけらと説明板

島を守った赤レンガ
むかし、小学校のうらを、五百メートルくらい北へいった利根川のまん中に、前島という島がありました。
東西の長さ、やく一キロメートル、南北七百メートルの大きな島でした。そこには、神社や寺やたくさんの家がありました。
島小学校は、一八七三年(明治六年)八月八日、ここのお寺をつかってひらかれました。
ところが、利根川は流れがはやく、大雨がふるると水があふれ、島の人たちは、いつもきけんにさらされつづけました。とくに、流れのつよいところでは、田畑もしきちもけずりとられ(川欠け)ていきました。前島の人たちは、この川欠けをふせぐために、このレンガ塀の土手をつくりました。
一ばんつよく水のあたる西北に、長さ三百メートル、高さ三メートルの長いレンガ塀の土手をきずきました。村中がそう出でしごとにあたったそうです(一九〇八年、明治四一~四二年)。
ところが、そのよく年、一週間も雨がふりつづき、川は大こう水となり、このレンガ塀もこわされてしまいました。その後も川欠けはつづき一九一五年(大正四年)、学校も新地へうつりました。
こわれたレンガ塀は、そののち一九五一年(昭和二七年)ダイナマイトでばくはされ、水中にとびちりました。ここにあるレンガ塊かかけらは、一九八二年(昭和五七年)八月の大水で岸にうちあげられたものできねんのためにはこばれたものです。
このレンガ塊のかけらには、利根川の水にくるしみ、水とたたかってきた島のむかしの生活がきざまれています。
島小学校の創立は明治6年8月
世界遺産「富岡製糸場」創業の翌年です
143年間の歴史は2016年3月に閉じました
現在世界遺産「田島弥平旧宅」の案内所として
世界中の人々に地域の歴史と文化を発信しています
田島弥平旧宅案内所(旧伊勢崎市立境島小学校)

群馬県 伊勢崎市 境島村1968-40

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2020年10月30日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED
日本再発見


(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010