伊勢崎市境島村の島村沿革碑
記事 NO.7448 彩2020 島村の様子を未来に
2020年11月11日訪問
田島弥平旧宅案内所 (伊勢崎市)
境島村 島村沿革碑
「福祉交流館しまむら」の前あります

島村の起源や地理 利根川との関わり
養蚕業を発展させた歴史が記されています

明治32年(1899年)の建立

「島邨沿革碑」の題額は山県有朋の揮毫によるものです

山県有朋と渋沢栄一の交流を研究すると
新しい歴史が見えてくるかもしれません
碑文の文字は 金井烏洲の4男 金井之恭によるものです

島村沿革碑の脇には 赤レンガが置かれています

関連記事:島を守った赤レンガ
福祉交流館しまむら(旧伊勢崎市立境島小学校)

群馬県 伊勢崎市 境島村1968-40

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2020年11月11日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED
日本再発見

(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010
2020年11月11日訪問
田島弥平旧宅案内所 (伊勢崎市)
境島村 島村沿革碑
「福祉交流館しまむら」の前あります

島村の起源や地理 利根川との関わり
養蚕業を発展させた歴史が記されています

明治32年(1899年)の建立

島村沿革碑
現在の利根川は、島村のほぼ中央を流れていますが、昔から今に至るまでに、この流れも変わり、そのたびごとに島村の人々の生活に大きな影響を与えてきました。そのようすについて忘れることがないようにと、明治30年(1897)に島村のお年寄りが絵地図をもってわざわざ今の東京大学の三島毅先生に頼んで記録した碑文です。
碑の一番上に右から面白い字で島邨沿革碑と書いてありますが、この字は篆書といわれる字で長州藩(山口県)出身の山県有朋陸軍大将が書かれたものです。
この碑には、村の形が河豚に似ているとか200年で16回も流れが変わったことなどが書かれています。また、洪水により運ばれてきた土が桑の木を育てるのに適し、人々は競って蚕を養うことで、洪水に打ち勝ったことや蚕種が最も優れていて、国内や海外まで名を高めたことなどが書かれています。
この碑の文字は、島村出身の金井之恭が書いています。之恭とも言われる方で天保4(1833)年生まれ、金井烏洲の四男、貴族院議員など歴任し、明治40(1907)年逝去、明治の三大書家の一人に数えられる方です。
「島邨沿革碑」の題額は山県有朋の揮毫によるものです

山県有朋と渋沢栄一の交流を研究すると
新しい歴史が見えてくるかもしれません
碑文の文字は 金井烏洲の4男 金井之恭によるものです

島村沿革碑の脇には 赤レンガが置かれています

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福祉交流館しまむら(旧伊勢崎市立境島小学校)

群馬県 伊勢崎市 境島村1968-40

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2020年11月11日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED
日本再発見


(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010