富岡八幡宮横綱力士碑(江東区)
記事 NO.7540 彩2021 江戸勧進相撲発祥地
2021年2月23日訪問
富岡八幡宮 (東京都江東区)
横綱力士碑
明治28年3月吉日 宮小路康文書

高さ3.5m 幅3m 厚さ1m 重さ20tの白御影石




石碑の裏面には
初代 明石志賀之助から歴代横綱の名前が彫ってあります
左上には「無類力士雷電為右衛門」!

横綱力士碑の脇には
なんと力石が!

隠すように置かれています

右奥の力石には
「さし石 福住」の刻字

左奥の力石には
「さし石 □若」の刻字

なぜ こんなところに置かれているのでしょう?

力持碑の力石と同じように
大切に扱っていただきたいものです
富岡八幡宮(深川八幡宮)

東京都 江東区 富岡1-20-3

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2021年2月23日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED
東京散歩 深川散歩 渋沢栄一を歩く
(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010

2021年2月23日訪問
富岡八幡宮 (東京都江東区)
横綱力士碑
明治28年3月吉日 宮小路康文書

高さ3.5m 幅3m 厚さ1m 重さ20tの白御影石

横綱力士碑
◇建立 明治三十三年
◇重量 約五千五百貫(約二十トン)
当宮では貞享元年(1684)に幕府の公許のもと初めて勧進相撲が行われ、以後年二場所の相撲興行が定期的に行われた事により江戸勧進相撲発祥の地として知られるようになりました。
初代明石志賀之助からの歴代横綱の名が刻まれたこの碑は、第十二代横綱陣幕久五郎が発起人となり各界の協賛を得て奉納されたものです。
なお、正面参道・大鳥居手前左側には「大関力士碑」が建立されています。


江東区指定有形文化財(歴史資料)横綱力士碑
附 陣幕・不知火顕彰碑二基 日月石寄附碑 地固め寄附碑
土台石垣 魚かし石柱日本 土台下玉垣
富岡1-20-3 富岡八幡宮
この横綱力士碑は, 横綱の顕彰と相撲の歴史を伝えるため, 江戸時代最後の 横綱第十二代陣幕久五郎が中心となり, 明治三十三年に建てられました。
古くから庶民に親しまれてきた相撲は, 江戸時代には幕府公認の勧進相撲 (寺社修復などを目的に実施)へと発展し, 大坂・京・江戸で興行として開催 されました。幕府が初めて江戸での勧進相撲を認めたのは, 貞享元年(1684) の富岡八幡宮境内でした。その後, 明和年間(1764~71)には, 春・秋二場所のうち一場所がこの地で開催され, 享和元年(1801)までに 本場所三十一回を数えました。その意味で, 富岡八幡宮は 江戸勧進相撲の発祥地 といえます。
威容を誇る横綱力士碑は, 同時期に建てられた陣幕・不知火顕彰碑や周辺の 石造物(魚かし石柱, 土台下玉垣は大正末ごろ)とともに, 相撲と地域のつな がりを示す貴重な文化財です。
平成十六年二月 江東区教育委員会

石碑の裏面には
初代 明石志賀之助から歴代横綱の名前が彫ってあります
左上には「無類力士雷電為右衛門」!

横綱力士碑の脇には
なんと力石が!

隠すように置かれています

右奥の力石には
「さし石 福住」の刻字

左奥の力石には
「さし石 □若」の刻字

なぜ こんなところに置かれているのでしょう?

力持碑の力石と同じように
大切に扱っていただきたいものです
富岡八幡宮(深川八幡宮)

東京都 江東区 富岡1-20-3

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2021年2月23日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED
東京散歩 深川散歩 渋沢栄一を歩く
(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010

