大関力士碑(江東区)
記事 NO.7541 彩2021 江戸勧進相撲発祥地
2021年2月20日訪問
富岡八幡宮 (東京都江東区)
大関力士碑
歴代の大関力士を顕彰

富岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の地として知られています

江戸時代初期 相撲興業はトラブルが多く
しばしば禁止されました
しかし5代将軍綱吉の治世 貞享元年(1684)に
勧進相撲が許され開催場所となったのが
富岡八幡宮の境内でした
明治31年に市川団十郎が寄進した碑

江戸期の大関の四股名が刻まれています
雷電為右衛門の名もみられます

巨人力士身長碑

昭和58 年に建てられたものです
巨人手形・足形碑

大空武左衛門 釈迦ヶ嶽雲右衛門 九紋竜清吉
鮨ヶ嶽源大夫 出羽ヶ嶽文治郎 竜門の6力士の手形
生月 竜門 男山の三力士の足形
釈迦嶽等身碑

この円柱形の碑は 高さ2.26メートル
釈迦ヶ嶽の身長と同じ高さに造られていています
建立当初は 富岡八幡宮境内の野見宿禰社の東側にありましたが
昭和2年に横綱力士碑のそばに移動し
さらに昭和63年に現在地に移動したようです


相撲は蔵前八幡や神田明神なども興行場所となりましたが
富岡八幡宮でしばしば行われ
貞享元年以降31回開催されています
天保4年からは 本場所は
本所回向院で開催されることとなりましたが
勧進相撲の勃興期における
富岡八幡宮の地位は高いものでした
富岡八幡宮(深川八幡宮)

東京都 江東区 富岡1-20-3

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2021年2月20日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED
東京散歩 深川散歩 渋沢栄一を歩く
(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010

2021年2月20日訪問
富岡八幡宮 (東京都江東区)
大関力士碑
歴代の大関力士を顕彰

富岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の地として知られています

大関力士碑
当宮は江戸勧進相撲発祥の地として知られ、明治年間には歴代横綱の名を刻んだ横綱力士碑(本殿に向かって右側の奥)が建立されましたが、この大関力士碑は歴代の大関を顕彰し(横綱に昇進した力士と実際に取組みには入らなかった看板大関を除きます)昭和五十八年に建てられた碑で、九代目市川団十郎と五代目尾上菊五郎が明治年間に寄進した仙台石を利用しています。
江戸時代初期 相撲興業はトラブルが多く
しばしば禁止されました
しかし5代将軍綱吉の治世 貞享元年(1684)に
勧進相撲が許され開催場所となったのが
富岡八幡宮の境内でした
明治31年に市川団十郎が寄進した碑

江戸期の大関の四股名が刻まれています
雷電為右衛門の名もみられます

巨人力士身長碑

昭和58 年に建てられたものです
巨人手形・足形碑

大空武左衛門 釈迦ヶ嶽雲右衛門 九紋竜清吉
鮨ヶ嶽源大夫 出羽ヶ嶽文治郎 竜門の6力士の手形
生月 竜門 男山の三力士の足形
釈迦嶽等身碑

この円柱形の碑は 高さ2.26メートル
釈迦ヶ嶽の身長と同じ高さに造られていています
建立当初は 富岡八幡宮境内の野見宿禰社の東側にありましたが
昭和2年に横綱力士碑のそばに移動し
さらに昭和63年に現在地に移動したようです

釈迦嶽等身碑
寛延二年(一七四九)出雲国(現安来市)に出生
松平家のお抱え力士雷電為五郎の弟子となり大阪で初土俵明和七年(一七七〇)江戸番付に東大関として登場する
身の丈七尺五寸(二米二六糎)四拾五貫八百匁(一七二瓩)の巨体があった
江戸在場所中の成績は二三勝一分一預という高い勝率を残した
安永四年(一七七五年)若干二十六才にて没したのは惜しまれるこの碑は天明七年実弟の真鶴咲右衛門により建立された
(区有形文化財)

相撲は蔵前八幡や神田明神なども興行場所となりましたが
富岡八幡宮でしばしば行われ
貞享元年以降31回開催されています
天保4年からは 本場所は
本所回向院で開催されることとなりましたが
勧進相撲の勃興期における
富岡八幡宮の地位は高いものでした
富岡八幡宮(深川八幡宮)

東京都 江東区 富岡1-20-3

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2021年2月20日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED
東京散歩 深川散歩 渋沢栄一を歩く
(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010

