富岡宮司寿像(富岡八幡宮)
記事 NO.7545 彩2021 江戸最大の八幡さま
2021年2月23日訪問
富岡八幡宮 (東京都江東区)
富岡宮司寿像
富岡八幡宮再建に貢献

社務所の前に富岡宮司寿像があります


像の前には力石のような石があります

社務所脇にも

像の周辺にも

力石のような石があります
このあたりは江戸期以前から昭和初期にかけて
舟運で栄えたところ土の中にもたくさん力石が
埋まっているかもしれません
富岡八幡宮(深川八幡宮)

東京都 江東区 富岡1-20-3

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2021年2月23日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED
東京散歩 深川散歩 力石をめぐる
(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010

2021年2月23日訪問
富岡八幡宮 (東京都江東区)
富岡宮司寿像
富岡八幡宮再建に貢献

社務所の前に富岡宮司寿像があります

富岡宮司略歴
福岡県築上郡八津田村東八田に明治廿五年一月三日生。川面凡児翁の推薦により富岡八幡宮の祭祀を継承する為め富岡宣永の養嗣子となる。国学院大学を卒へ砥鹿神社、北海道十一ヶ国総鎮守官幣大社札幌神 社勅祭官幣大社鹿島神宮等に各々宮司として奉仕、砥鹿神社にては山林経営施業案を立て、神社百年の大計を樹立した。三河一国の青年指導教化、札幌神社にては境内整備社務所、参集殿、斎館の新築、道会初日全道会議員の神社参拝道政奉告の新例を開く。鹿島神宮に於ては昭和度の大造営を完成、氏子、神社により胸像建立さる。昭和廿四年父祖伝来の富岡八幡宮々司として奉仕、戦災により焼失したる八幡宮の御社殿再建、その間茨城県神社庁設立、初代庁長、神社本庁総長、国学院大学理事、同大学評議委員会議長、同大学院友会々長、神社本庁顧問、長老の称号を受け、北白川総裁様より鳩杖の下賜にお言葉を賜わる。氏神、産土神の神学的研究により哲学博士、文学博士の学位を贈らる。
昭和四十八年 八月

像の前には力石のような石があります

社務所脇にも

像の周辺にも

力石のような石があります
このあたりは江戸期以前から昭和初期にかけて
舟運で栄えたところ土の中にもたくさん力石が
埋まっているかもしれません
富岡八幡宮(深川八幡宮)

東京都 江東区 富岡1-20-3

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2021年2月23日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED
東京散歩 深川散歩 力石をめぐる
(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010

