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経王寺の山門

記事 NO.7570     彩2021 本行寺の隣の経王寺

2021年3月23日訪問
大黒山 経王寺(荒川区)

経王寺の山門
丸い穴が伝える上野戦争

大黒山 経王寺

境内の大黒堂には

日蓮聖人作と伝わる大黒天が祀られています

経王寺山門 標柱


荒川区指定文化財 経王寺山門 付門番所

 天保七年(一八三六)に、桶屋安五郎らが願主となり建立された。切妻造、桟瓦葺、総欅造の薬医門で、脇に瓦屋根付きの板塀と潜り戸を設け、西側には門番所が連結される。間口寸法(親柱間)一〇尺九寸、奥行寸法(親柱・控柱間)七尺六寸と、堂々とした規模をもち、脇に付設された門番所と併せて日暮里の寺町地区を象徴する「辻」の景観を形成する貴重な建造物である。また、慶応四年(一八六八)の上野戦争の際のものと伝えられる弾痕が残っており、地域の歩んだ歴史も刻まれている。


経王寺山門


経王寺山門 説明板


大黒天(だいこくてん)経王寺(きょうおうじ)

 経王寺は日蓮宗の寺院で山号を大黒山と称す。明暦元年(一六五五)、当地の豪農冠勝平(新堀村の名主冠権四郎家の祖)が要詮院日慶のために寺地を寄進し、堂宇を建立したことに始まるという。本堂の隣の大黒堂には日蓮上人の作と伝えられる大黒天が鎮守として祀られており、地域の人々の崇敬を広くあつめている。
慶応四年(一八六八)の上野戦争のとき敗走した彰義隊士をかくまったため、新政府軍の攻撃をうけることとなり、山門には今も銃弾の痕が残っている。
         荒川区教育委員会


経王寺山門 銃弾痕

慶応4年(1868)5月15日の

上野戦争に敗れた彰義隊士がここへ隠れたため

新政府の攻撃を受けました

経王寺山門 銃弾痕


経王寺山門 銃弾痕


経王寺山門 銃弾痕


経王寺山門 銃弾痕

山門には銃撃を受けた弾痕が今も残り

当時の激しさを今に伝えています

経王寺山門 銃弾痕

上野 谷中 根津 千駄木は戦場でした

経王寺山門

上野戦争は 戊辰戦争の戦闘の一つで
彰義隊ら旧幕府軍と薩摩藩 長州藩を中心とする
新政府軍の間で行われた戦いです




大黒山 経王寺
経王寺山門

東京都 荒川区 西日暮里3-2-6
Qrcode経王院
(Mapion地図にアクセス)



撮影:2021年3月23日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED

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