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谷中霊園桜通りと天王寺五重塔跡

記事 NO.7572     彩2021 谷中で花散歩歴史散歩

2021年3月23日訪問
谷中霊園さくら通り(台東区)

桜通り
墓地の桜並木

61DSC_8952.jpg

上野の桜めぐりもそろそろ終わりにしたいと思います

上野戦争で敗れた彰義隊も
この桜通りを走って道灌山方面に
逃げたと思われます

62DSC_8953.jpg

墓地の片隅に
「おかの はかみち」と
刻まれた石標があります

谷中の墓地が整備されたときのものでしょうか?
「桜通り」を「丘の墓道」とよんでいたようです

その桜通りにある
五重塔跡の桜も見事です

63DSC_8963.jpg

以前は ここに美しい五重塔があったのです

64DSC_8959.jpg

東京都指定史跡
天王寺五重塔跡

 谷中の天王寺は、もと日蓮宗・長耀山感應寺尊重院と称し、道灌山の関小次郎長耀に由来する古刹である。元禄12年(1699)幕命により天台宗に改宗した。現在の護国山天王寺と改称したのは、天保4年(1833)のことである。最初の五重塔は、寛永21年(正保元年・1644)に建立されたが、百三十年ほど後の明和9年(安永元年・1772)目黒行人坂の大火で焼失した。罹災から19年後の寛政3年(1791)に近江国(滋賀県)高島郡の棟梁八田清兵衛ら48人によって再建された五重塔は、幸田露伴の小説『五重塔』のモデルとしても知られている。総欅造りで高さ十一丈ニ尺八寸(34.18メートル)は、関東で一番高い塔であった。明治41年(1908)6月東京市に寄贈され、震災・戦災にも遭遇せず、谷中のランドマークになっていたが、昭和32年(1957)7月9日放火により焼失した。 現存する方三尺の中心礎石と四本柱礎石、方ニ尺七寸の外陣四隅柱礎石及び回縁の束石20個、地覆石12個総数49個はすべて花崗岩である。大島盈株による明治3年(1870)の実測図が残っており復原も可能である。中心礎石から金銅硝子荘舎利塔や金銅製経筒が、四本柱礎石と外陣四隅柱からは金銅製経筒などが発見されている。
     平成5年(1993)3月31日建設  東京都教育委員会


65DSC_8961.jpg

幸田露伴の小説『五重塔』のモデルにもなった
天王寺の五重塔跡です

66DSC_8955.jpg

天王寺(旧名・感応寺)の五重塔は
江戸時代の正保元年(1644)に創建されたと伝えられています
明和9年(1772)の大火で寺の諸堂とともに焼失しましたが
寛政3年(1791)に再建されました

67DSC_8957.jpg

谷中のランドマークになっていましたが
昭和32年7月6日の放火により消失しました

NHKアーカイブス
谷中の五重塔焼ける

68DSC_8964.jpg

この近くには
徳川慶喜公や渋沢栄一翁などの
墓地もあります

そうそう 彰義隊の初代頭取は
渋沢喜作でしたね



天王寺五重塔跡
69DSC_8960.jpg




撮影:2021年3月23日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED

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No title

こんにちは。五重塔の焼失残念ですね。

それにしてもNHKのニュース良く見つけましたね!!

まさか、動画で見ることが出来るとは思いませんでした。

Re: No title

> torikeraさん

NHKのニュースは、記事を書くために「天王寺五重塔」で検索したら上位にでてきました。

偶然見つけたものです。

NHKアーカイブスも面白いですね。

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