水戸征討記念碑
記事 NO.7584 彩2021 たいへん珍しい碑
2021年4月7日訪問
水戸征討記念碑 (皆野町)
水戸征討記念碑
三沢の猟師たちが従軍

元治元年(1864)に水戸で「天狗党の乱」がありました
外国を追い払おうとする一派と 徳川幕府との争いです
忍藩は幕府方でしたので 藩主の松平下総守の求めに応じて
三沢の猟師たちが この戦いに従軍しました
そして 無事に故郷へ帰ってくることができたので
それを記念してこの碑を建てました


惟依神徳
水戸征討記念碑


忍 松平下総守領分 猟師役従軍者
三沢村 発起
萩原松五郎 田中定右エ門

元治元年甲子十二月立之
水戸征討記念碑

埼玉県 秩父郡皆野町 大字三沢字枝ノ沢1753

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2021年4月7日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED
幕末明治維新を歩く 歴史の宝石めぐり

(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010
2021年4月7日訪問
水戸征討記念碑 (皆野町)
水戸征討記念碑
三沢の猟師たちが従軍

元治元年(1864)に水戸で「天狗党の乱」がありました
外国を追い払おうとする一派と 徳川幕府との争いです
忍藩は幕府方でしたので 藩主の松平下総守の求めに応じて
三沢の猟師たちが この戦いに従軍しました
そして 無事に故郷へ帰ってくることができたので
それを記念してこの碑を建てました

皆野町指定有形文化財
平成十四年十二月二十六日指定水戸征討記念碑
三沢は江戸時代の寛文三年(一六六三)から、明治時代(~一八七一)まで、約二百年間は忍藩に属していました。
元治元年(一八六四)に水戸(茨城県)に「天狗党の乱」という戦いがありました。外国を追い払おうとする天狗党と、開国に揺れる徳川幕府との争いです。忍藩は幕府方でしたので、藩主の松平下総守の求めに応じて、三沢の猟師たちが、この戦いに従軍しました。そして、無事に故郷へ帰ってくることができたので、それを記念してこの碑を建てました。
いちばん上に、「惟依神徳」(御神徳によって無事に帰ることができた)と彫られ、その下に縦書きで「水戸征討記念碑」と刻んであります。
発起人に萩原松五郎、田中定右衛門とあります。この外にまだ従軍した方が、相当あったことはもちろんです。戦力として猟師が従軍した碑はたいへん珍しいものです。
皆野町教育委員会

惟依神徳
水戸征討記念碑


忍 松平下総守領分 猟師役従軍者
三沢村 発起
萩原松五郎 田中定右エ門

元治元年甲子十二月立之
水戸征討記念碑

埼玉県 秩父郡皆野町 大字三沢字枝ノ沢1753

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2021年4月7日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED
幕末明治維新を歩く 歴史の宝石めぐり


(C)heihei's studio 2010
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