大川道場跡と大川平兵衛頌徳碑
記事 NO.7586 彩2021 神道無念流(しんどうむねんりゅう)の稽古場
2021年3月15日訪問
大川平三郎翁記念公園 (坂戸市)
大川道場跡
神道無念流 大川平兵衛英勝の道場

渋沢家や尾高家の人々が学んだ
神道無念流

大川道場旧景

この道場から 明治時代に活躍する人材を輩出しました

現在は 大川平三郎翁記念公園になっています

平兵衛はここから血洗島に出向き
栄一たちに剣術の指導を行いました
隣接する大川家墓地にある
頌徳碑(大川平兵衛墓碑)

撰文は尾高惇忠
書は明治三筆の一人である日下部鳴鶴(東作)
篆額「大川先生墓表」は
元福井藩主の松平慶永(春嶽)

裏面には門下たちの名前が刻まれています

筆頭に渋沢栄一 次に渋沢喜作

門下たちの名前が続き
最後に尾高惇忠の名が刻まれています

文化財級の碑です
大川平三郎翁記念公園(大川道場跡)

埼玉県 坂戸市 横沼332

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2021年3月15日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED

青天を衝け
歴史散歩 幕末明治維新 渋沢栄一を歩く
(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010
2021年3月15日訪問
大川平三郎翁記念公園 (坂戸市)
大川道場跡
神道無念流 大川平兵衛英勝の道場

渋沢家や尾高家の人々が学んだ
神道無念流

大川道場跡
この公園は、神道無念流の剣術家・大川平兵衛英勝の道場があった場所です。
平兵衛は、享和元年(一八〇一年)熊谷市上之の渡辺家に生まれ、幼い頃に、小鮒家の養子となって、栄治郎と称していました。その頃の県北地方では、神道無念流が栄えており、熊谷付近の箱田村に道場を構えていた秋山要助の弟子となり、厳しい稽古に耐えて、文政五年(一八二二年)には、二十歳で免許皆伝を得ています。
二十二歳の時、横沼村(現坂戸市横沼)の大川与佐衛門婿養子となって、名を平兵衛と改め、邸内に道場を設けて、多くの門弟を育てています。
文久二年(一八六二年)には、川越藩主松平大和守直克に登用され、剣術師範となって仕えました。
後に、藩主の前橋移封に伴い、平兵衛親子も移り住みますが、藩の飛地であった松山(現東松山市)の陣屋で、剣術を指導している時、幕末を迎えています。
明治四年(一八七一年)九月に七十歳で没すると、平兵衛を慕う門人たち「五六九名」により、隣接する大川家墓地に「頌徳碑」が建立されました。
この碑の篆額は、前福井藩主・松平春嶽の筆であり、撰文は、尾高惇忠によるものです。
平成二十七年二月 坂戸市教育委員会
大川道場旧景

この道場から 明治時代に活躍する人材を輩出しました

現在は 大川平三郎翁記念公園になっています

平兵衛はここから血洗島に出向き
栄一たちに剣術の指導を行いました
隣接する大川家墓地にある
頌徳碑(大川平兵衛墓碑)

撰文は尾高惇忠
書は明治三筆の一人である日下部鳴鶴(東作)
篆額「大川先生墓表」は
元福井藩主の松平慶永(春嶽)

裏面には門下たちの名前が刻まれています

筆頭に渋沢栄一 次に渋沢喜作

門下たちの名前が続き
最後に尾高惇忠の名が刻まれています

文化財級の碑です
大川平三郎翁記念公園(大川道場跡)

埼玉県 坂戸市 横沼332

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2021年3月15日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
レンズ:ニコン-AF-NIKKOR 18-140mm
1:3.5-5.6 G ED


青天を衝け
歴史散歩 幕末明治維新 渋沢栄一を歩く
(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010