埼玉りそな銀行のルーツ黒須銀行
記事 NO.7596 彩2021 埼玉りそな銀行のルーツ
2013年12月31日訪問
旧黒須銀行(入間市)
黒須銀行
栄一筆「道徳銀行」

渋沢栄一と尾高惇忠が墓参の帰りに
繁田家に立ち寄ったとき
繁田武平満義は銀行設立について
栄一から教えを仰ぎました


繁田武平翠軒によれば
満義は 尾高惇忠に漢学を学び
大川平兵衛から剣道の修行を受けたとのことです

栄一は進んで同行の株主となり
後に顧問役を引き受け
大正2年に創立15周年を祝して
「道徳銀行」の扁額を贈りました

一時は県下第3位の銀行に成長しましたが
大正11年に武州銀行と合併
戦時下政府の一県一行主義に従い
武州銀行 第八十五銀行 忍商業銀行 飯能銀行 の四行は
合併して 昭和18年7月1日に埼玉銀行を創立しました

△今も残る埼玉銀行豊岡支店の文字
この建物は 昭和18年からは
埼玉銀行豊岡支店として使用されました

栄一の揮毫した「道徳銀行」の扁額は
現在 埼玉りそな銀行本店(さいたま市)の
応接室に掲げられています


この建物は
明治期の地方銀行に多く見られた洋風土蔵造りで
貴重な近代建築遺構となっています
旧黒須銀行

埼玉県 入間市 宮前町5-33

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2013年12月31日
カメラ:ニコン-Nikon D5200

埼玉散歩 青天を衝け 渋沢栄一を歩く
(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010
2013年12月31日訪問
旧黒須銀行(入間市)
栄一筆「道徳銀行」

渋沢栄一と尾高惇忠が墓参の帰りに
繁田家に立ち寄ったとき
繁田武平満義は銀行設立について
栄一から教えを仰ぎました

旧黒須銀行
市指定有形文化財(建造物)
指定年月日 平成二年四月一日
この建物は、明治四二年(一九〇九)五月に黒須銀行本店として建設されたもので、土蔵造二階建、寄棟造瓦葺、総床面積二三六・〇二㎡の建物である。
黒須銀行は、明治二七年に設立された黒須相互組合を前身に、明治三三年二月に誕生した。その経営は、創設当時の中心人物・繫田武平満義の考えから道徳を規範としたもので、大正三年(一九一四)には顧問の渋沢栄一から「道徳銀行」の名を与えられ、順調に業績を伸ばした。しかし、第一次大戦後の不況の影響により、大正十一年六月に武州銀行と合併して幕を下ろした。
その後は昭和十八年(一九四三)七月に埼玉銀行(現埼玉りそな銀行)豊岡支店となり、昭和三五年十一月まで営業が行われていた。
昭和四十年三月からは郷土民芸館として市が借用していたが、昭和五二年七月に埼玉銀行より敷地を含めて市に寄贈された。
現在は、当市の近代金融史を象徴する遺産として大切に保存されている。
平成十七年三月一日
入間市教育委員会
入間市文化財保護審議委員会

繁田武平翠軒によれば
満義は 尾高惇忠に漢学を学び
大川平兵衛から剣道の修行を受けたとのことです

栄一は進んで同行の株主となり
後に顧問役を引き受け
大正2年に創立15周年を祝して
「道徳銀行」の扁額を贈りました

一時は県下第3位の銀行に成長しましたが
大正11年に武州銀行と合併
戦時下政府の一県一行主義に従い
武州銀行 第八十五銀行 忍商業銀行 飯能銀行 の四行は
合併して 昭和18年7月1日に埼玉銀行を創立しました

△今も残る埼玉銀行豊岡支店の文字
この建物は 昭和18年からは
埼玉銀行豊岡支店として使用されました

栄一の揮毫した「道徳銀行」の扁額は
現在 埼玉りそな銀行本店(さいたま市)の
応接室に掲げられています


この建物は
明治期の地方銀行に多く見られた洋風土蔵造りで
貴重な近代建築遺構となっています
旧黒須銀行

埼玉県 入間市 宮前町5-33

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2013年12月31日
カメラ:ニコン-Nikon D5200


埼玉散歩 青天を衝け 渋沢栄一を歩く
(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010