山岡鉄太郎墨跡と力石
記事 NO.7619 彩2021 天満宮の力石
2021年5月12日訪問
高岩天満神社(白岡市)
山岡鉄舟の幟と力石
高岩村の鎮守


山岡鉄舟による幟

「欽明仰聖皇」 「治理逢熙運」

山岡鉄太郎墨跡・高岩天満神社奉納絵馬群が
白岡市の指定文化財になっています
力石があります


高岩天満神社

埼玉県 白岡市 高岩1616

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2021年5月12日
カメラ:ニコン-Nikon D7500

埼玉力石散歩 久喜白岡を歩く
(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010
2021年5月12日訪問
高岩天満神社(白岡市)
高岩村の鎮守


高岩天満神社
白岡町大字高岩字山ノ下
天満神社は、応永三一年(一四二四)、付近にあった泉蔵院(明治初年に廃寺)の住職寂元が、菅原道真公の画像を京都から持ってきて、同三二年に高岩村の鎮守として祀ったのが始まりと伝わっています。子年と午年に御開帳が行われ、祭神が菅原道真公であることから学問の神様として信仰されています。
当社には多数の絵馬が奉納されており、また山岡鉄舟(鉄太郎、一八三六~一八八八)の書による幟の下書きも伝わっています。
絵馬の中でも円形の絵馬(「神馬献上」)は貴重で、直径は約六〇cm、表面には金粉が施され、神馬の絵に「飛可れてハ 阿しき道尓も 入怒遍し 心能駒の 手綱ゆるすな」との和歌が添えられています。ほかに俳諧の同人が奉納した俳句絵馬などがあり、江戸末期に当社が学問や文芸に親しむ人々から厚く信仰されていた様子がうかがえます。
山岡鉄舟による幟の下書きは明治二〇年(一八八七)に書かれたものです。剣豪として有名な鉄舟は書にも秀で、勝海舟・高橋泥舟とともに 「幕末の三舟」に数えられます。鉄舟が揮毫した書や幟は関東各地に伝わっています。当社の幟は二幅一対、全長は一三メートルを超え、雄大かつ重厚な筆致で「治理逢熙運」「欽明仰聖皇」と書されてます。これらは「山岡鉄太郎跡」として、町の指定文化財になっています。
また、境内社として拝殿右手前に祀られている大杉神社は「あんば様」ともいわれ、文久年間(一八六一~六四)に茨城県稲敷市(旧桜川村)阿波の大杉神社を勧請したと伝えられています。あんば様の祭礼は三月と七月に行われ、獅子の一行と御輿(七月)が、疫病払いに高岩地区内を廻ります。
平成一八年二月 白岡町教育委員会
山岡鉄舟による幟

「欽明仰聖皇」 「治理逢熙運」

山岡鉄太郎墨跡・高岩天満神社奉納絵馬群が
白岡市の指定文化財になっています
力石があります


高岩天満神社

埼玉県 白岡市 高岩1616

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2021年5月12日
カメラ:ニコン-Nikon D7500


埼玉力石散歩 久喜白岡を歩く
(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010