渋江鋳金遺跡
記事 NO.7701 彩2021 中世の渋江氏ゆかりの地
2021年8月27日訪問
渋江鋳金遺跡(さいたま市)
埼玉県指定 旧跡
渋江鋳金遺跡
しぶえちゅうきんいせき

行き止まりの道の左側には

渋江鋳物師が鋳物を製造した工房跡
渋江鋳金遺跡の碑があります

発掘調査では鋳物製品を作るための
鋳型や不純物の塊である鉄さい等が出土しています

岩槻区長宮の大光寺には
文明6年(1474)銘の「文明鰐口」が残されています

『新編武蔵風土記稿』に、「旧家者伴蔵 氏ヲ斎藤ト称ス。代々名主を勤メ、傍ラ鋳冶ヲ業トセリ。家系を失ヒタレバ来由詳ナラズ。岩槻太田氏及小田原北条家ヨリ与ヘシ文書ヲ蔵ス。宛名渋江鋳物師トアリ。サレバ往古ハ岩槻渋江町ニ住シ、御入国ノ後当初ニ移リシナルベシ」とあります。

村国の斎藤伴蔵家は
江戸時代に名主を務めた旧家で
鋳物屋敷といわれています
渋江鋳金遺跡

埼玉県 さいたま市 岩槻区 村国

(マピオン地図にアクセス)
撮影:2021年8月27日
カメラ:ニコン-Nikon D7500

埼玉歴史散歩 史跡めぐり
(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010
2021年8月27日訪問
渋江鋳金遺跡(さいたま市)
渋江鋳金遺跡
しぶえちゅうきんいせき

行き止まりの道の左側には

渋江鋳物師が鋳物を製造した工房跡
渋江鋳金遺跡の碑があります

発掘調査では鋳物製品を作るための
鋳型や不純物の塊である鉄さい等が出土しています

岩槻区長宮の大光寺には
文明6年(1474)銘の「文明鰐口」が残されています

埼玉県指定旧跡
渋江鋳金遺跡
中世末期から近世初頭における鋳金工業遺跡で、鋳金とは鋳造・鋳物ともいい金属を溶解し、これを土または石の鋳型に流し込み、冷却してから型から取出し表面を仕上げる技術である。
岩槻市内の鋳金遺跡は馬込(まごめ)・金重(かなしげ)・村国(むらくに)の三か所といわれているが、確認できる旧跡は村国と馬込である。
特に村国は、県指定旧跡であり、『新編武蔵風土記稿』には、永禄七年(一五六四)岩槻城主太田氏が渋江鋳物師にあてた古文書が記載されており戦国期における鋳物師の活躍をうかがうことができる。
また、渋江鋳物師の作品は、高麗郡日高町の聖天院に応仁二年(一四六八)の青銅製鰐口(県指定)があり、市内では長宮の大光寺に文明六年(一四七四)銘の鰐口が残されている。
昭和三十六年九月一日指定 岩槻市教育委員会
『新編武蔵風土記稿』に、「旧家者伴蔵 氏ヲ斎藤ト称ス。代々名主を勤メ、傍ラ鋳冶ヲ業トセリ。家系を失ヒタレバ来由詳ナラズ。岩槻太田氏及小田原北条家ヨリ与ヘシ文書ヲ蔵ス。宛名渋江鋳物師トアリ。サレバ往古ハ岩槻渋江町ニ住シ、御入国ノ後当初ニ移リシナルベシ」とあります。

村国の斎藤伴蔵家は
江戸時代に名主を務めた旧家で
鋳物屋敷といわれています
渋江鋳金遺跡

埼玉県 さいたま市 岩槻区 村国

(マピオン地図にアクセス)
撮影:2021年8月27日
カメラ:ニコン-Nikon D7500


埼玉歴史散歩 史跡めぐり
(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010