隅田川テラスを歩く5
記事 NO.7747 彩2021 浅草を歩く5
2021年10月24日訪問
隅田川テラス(東京都)
浅草寺 奥山へ
お江戸散歩 浅草編3時間目

浅草のシンボル雷門
現在の雷門は松下幸之助氏の寄進により
昭和35年(1960年)に再建されたものです
正式名称は「風雷神門」
賑やかな仲見世の先には

浅草寺山門の宝蔵門
江戸時代は仁王門とよばれていました

本堂
国宝に指定されていた慶安の本堂は昭和20年(1945年)
3月10日の東京大空襲により焼失しましたが
その後全国の信徒からの浄財により
昭和33年(1958年)に再建されました

浅草寺江戸時代 境内と奥山の賑わい


奥山(新奥山)には力石の碑があります

力石「熊遊」

この石を持ち上げた『鬼熊』が働いていた
「豊島屋」は慶長元年(1596年)に開業
なんと現在も白酒が有名な「豊島屋本店」として
神田猿楽町で営業しています
力石に刻まれている
(カネジュウ)は
現在でも変更されることなく
豊島屋の社標(トレードマーク)になっています

この力石の碑を建てた新門辰五郎は
江戸時代後期の町火消 侠客です

碑の周りには
「大亀石」や「大石」などの力石も置かれています
その他 奥山には たくさんの記念碑があります
その中から「喜劇人の碑」の写真をどうぞ

喜劇人の碑(表)

喜劇人の碑(裏)

奥山から眺める五重塔も美しいです

奥山門から「奥山おまいりまち」に出ると

大道芸能座の紙芝居がいました
そして 浅草の昼飲みスポット「ホッピー通り」!

ホッピーを飲みながらゆっくり休憩するのもよいでしょう

浅草六区通りをぶらぶら歩いて

日本最初の遊園地といわれている「花やしき」の前を通って

昼食を済ませてから
合力稲荷神社へ向かいます(つづく)
隅田川テラス 浅草寺

東京都 台東区
撮影:2021年10月24日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
日本再発見 東京を歩く

(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010
2021年10月24日訪問
隅田川テラス(東京都)
浅草寺 奥山へ
お江戸散歩 浅草編3時間目

浅草のシンボル雷門
現在の雷門は松下幸之助氏の寄進により
昭和35年(1960年)に再建されたものです
正式名称は「風雷神門」
賑やかな仲見世の先には

浅草寺山門の宝蔵門
江戸時代は仁王門とよばれていました

本堂
国宝に指定されていた慶安の本堂は昭和20年(1945年)
3月10日の東京大空襲により焼失しましたが
その後全国の信徒からの浄財により
昭和33年(1958年)に再建されました

浅草寺江戸時代 境内と奥山の賑わい

八、江戸時代 境内と奥山の賑わい
江戸の繁栄とともに浅草寺の参詣者も増え、やがて江戸随一の盛り場となった。江戸文化の最盛期、境内には百数十の神仏の祠堂(しどう)が建ち並ぶ庶民信仰の聖地となる一方、奥山では松井源水のコマ廻し、長井兵助の居合抜き、のぞきからくり、辻講釈などの大道芸や見世物が参詣者を喜ばせ、水茶屋・楊枝店・矢場(やば)なども立ち並んだのである。さらに春の節分をはじめ季節の行事は大変な賑わいを呈した。
明治に入って、浅草寺の境内地は「浅草公園」となり、その第六区が興行街となって日本の映画史、演劇史の上に大きな足跡を残した。同十五年鉄道馬車が開通、同二十三年には浅草一帯を眼下に望む「十二階」が開業されるなど、浅草は文明開化のさきがけを誇った。

奥山(新奥山)
江戸の昔、今の浅草寺本堂の西北一帯は、俗に「奥山」と呼ばれ、江戸の盛り場として大道芸人や見世物小屋で大いに賑わう、著名な場所であった。
奥山の名の由来は記録にないが、おそらくその位置が本堂の奥にあることから名付けら れたと思われる。
明治以後、その賑わいは浅草寺西側の浅草公園六区へと移り、六区は日本一の興行街・ 映画のメッ力として栄えたが、その前身が奥山だったといわれる。
現在は、この地を「新奥山」として整備し、諸碑が建立されている。この中には、往時の賑わいを伝える記念碑も建てられてい る。
金龍山 浅草寺
奥山(新奥山)には力石の碑があります

力石
力石、または「さし石」ともいう。江戸後期、酒屋・米屋の人足たちの間で、酒樽や米俵を曲芸のように持ち上げて、その力を競うことが流行した。この力石は、境内で行われた「力くらべ大会」で競い持ち上げられたものである。
正面の「力石・熊遊の碑」は、明治七年(一八七四)、熊次郎という男が持ち上げた百貫(約三七五キロ)ほどの力石であり、新門辰五郎らがその記念として建てたもの。
金龍山 浅草寺
力石「熊遊」

この石を持ち上げた『鬼熊』が働いていた
「豊島屋」は慶長元年(1596年)に開業
なんと現在も白酒が有名な「豊島屋本店」として
神田猿楽町で営業しています
力石に刻まれている

現在でも変更されることなく
豊島屋の社標(トレードマーク)になっています

この力石の碑を建てた新門辰五郎は
江戸時代後期の町火消 侠客です

碑の周りには
「大亀石」や「大石」などの力石も置かれています
その他 奥山には たくさんの記念碑があります
その中から「喜劇人の碑」の写真をどうぞ

喜劇人の碑(表)

喜劇人の碑(裏)

奥山から眺める五重塔も美しいです

奥山門から「奥山おまいりまち」に出ると

大道芸能座の紙芝居がいました
そして 浅草の昼飲みスポット「ホッピー通り」!

ホッピーを飲みながらゆっくり休憩するのもよいでしょう

浅草六区通りをぶらぶら歩いて

日本最初の遊園地といわれている「花やしき」の前を通って

昼食を済ませてから
合力稲荷神社へ向かいます(つづく)
隅田川テラス 浅草寺

東京都 台東区
撮影:2021年10月24日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
日本再発見 東京を歩く


(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010