隅田川テラスを歩く8(最終回)
記事 NO.7750 彩2021 浅草を歩く8(最終回)
2021年10月24日訪問
隅田川テラス(東京都)
三囲神社(みめぐりじんじゃ)
お江戸散歩 浅草編6時間目

向島に鎮座する三囲神社

三囲神社の入口に日比翁助(三越百貨店の創始者)の
石垣の歌碑があります
「いしがきの 小石大石持合ひて 御代はゆるがぬ 松ヶ枝の色 日比美勲」

三井家では享保年間に
三囲神社を江戸における守護社と定めました

三囲のライオン像

銅壺の台石
越に○は三越の商標

客に出す茶の湯を沸かす銅壺の台石に彫られ
越に○の雛形といわれています
明治29年から昭和の初期まで実際に使われていたものです
三囲のコンコンさん(みめぐりのこんこんさん)

区登録文化財

享和二年(1802年)奉納

雨乞の句碑

句頭に「ゆたか」を詠みこんだ一句です
碑は安永6年(1777年)に
其角末裔の六蔵庵宝井により建立されましたが
その後摩滅したため 明治6年(1873年)に
其角の流れをくむ其角堂永機により
再建されたことが本碑裏面に刻まれています

この碑の周りには力石がいくつかあります

何かと力石に縁のある其角です

鬼面石

鬼平情景
今回の散歩のトリは
三囲神社の大鳥居

土手下にある三囲神社の鳥居

対岸からでも鳥居の貫より上が見られるほど


多くの浮世絵などの題材として描かれています

おしまい
三囲神社

東京都 墨田区 向島2-5-17
撮影:2021年10月24日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
日本再発見 東京を歩く

(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010
2021年10月24日訪問
隅田川テラス(東京都)
三囲神社(みめぐりじんじゃ)
お江戸散歩 浅草編6時間目

向島に鎮座する三囲神社

三囲神社の入口に日比翁助(三越百貨店の創始者)の
石垣の歌碑があります
「いしがきの 小石大石持合ひて 御代はゆるがぬ 松ヶ枝の色 日比美勲」

<日比翁助 石垣の歌碑>
「石垣には巨大な石塊が積み重ねられ、其間に小さな石があって空隙を埋め、其上に大石が泰然として据えてある。石垣は大石のみで出来るものでない。小石は不要の様に見へるかも知れぬが、もしあの石の中から一の小石を抜き去って見よ、堅牢な石垣も少しの事故で崩壊し去るであらう。如何に巨大の石のみがあつても夫だけでは石垣の堅牢を期することが出来ぬ。小僧とか下足係と云ふ小石があつてよくその為すべきことを為せばこそ大石も始めて活用し堅牢な石垣となる。」
ということを詠ったものだという。
三井家では享保年間に
三囲神社を江戸における守護社と定めました

三囲のライオン像

三囲のライオン像
三越の旧池袋店から移した 三越のシンボルであるライオン像は 大正3年 当時の三越呉服店を率いた日比翁助がライオンを大いに好み 三越本店に 一対のライオン像を据えたのにはじまる 戦後 本店の像をもとに各支店に設置されている ライオン像の原形はロンドン・トラファルガー広場の有名なネルソン像をかこむライオン像である なお「現金安売り掛け値なし」という三井の越後屋の画期的な商売の仕方は 大いに発展し 明治29年三越呉服店につながる
銅壺の台石
越に○は三越の商標

客に出す茶の湯を沸かす銅壺の台石に彫られ
越に○の雛形といわれています
明治29年から昭和の初期まで実際に使われていたものです
三囲のコンコンさん(みめぐりのこんこんさん)

区登録文化財

享和二年(1802年)奉納

三囲のコンコンさん
目尻のさがった温和な表情を ここいら辺の職人言葉で「みめぐりのコンコンさんみてぇだ」と言ったそうである 向店は越後屋本店(ほんだな)の道をへだてた向いにあって木綿を主に扱っていた
享和2年(1802)の奉納
雨乞の句碑

宝井其角「ゆうだちや」の句碑
此御神に 雨乞する 人にかはりて
遊ふた地(夕立)や
田を見めぐりの
神ならば
晋 其角
句頭に「ゆたか」を詠みこんだ一句です
碑は安永6年(1777年)に
其角末裔の六蔵庵宝井により建立されましたが
その後摩滅したため 明治6年(1873年)に
其角の流れをくむ其角堂永機により
再建されたことが本碑裏面に刻まれています

この碑の周りには力石がいくつかあります

何かと力石に縁のある其角です

鬼面石

鬼平情景
今回の散歩のトリは
三囲神社の大鳥居

土手下にある三囲神社の鳥居

対岸からでも鳥居の貫より上が見られるほど

<墨田区登録文化財>堤下の大鳥居と竹屋の渡し
所在地 墨田区向島二丁目一番 墨田公園内
隅田川七福神めぐりや桜の花見など、墨堤の散策は行楽好きの江戸市民に人気がありました。そのランドマークのひとつとされたのが三囲神社の鳥居で、堤下の大鳥居として親しまれていました。土手の下にあったにもかかわらず、対岸からでも鳥居の貫より上が見られるほどの大きなもので、桜の咲く頃に花に囲まれて見える様はたいへん風情があり、歌舞伎の背景や多くの浮世絵などの題材として描かれています。現在のものは文久二年(一八六二)の建立です。
三囲参詣には吾妻橋を利用する場合と、隅田川を舟で渡る方法とがありました。渡しは、ちょうどこの大鳥居がある土手下辺りの岸と、浅草山谷堀入口の待乳山下とを結ぶもので、竹屋の渡しと呼ばれていました。
竹屋の渡しの名は、山谷堀側の船宿「竹屋」に由来します。墨堤側には「都鳥」という掛茶屋があり、舟を出してもらうために「たけやー」と呼びかける女将の美声が参詣客の評判であったとも伝えられています。
昭和五年(一九三〇)、言問橋の開通により、この渡しは廃止されました。
平成二十年二月 墨田区教育委員会

多くの浮世絵などの題材として描かれています

おしまい
三囲神社

東京都 墨田区 向島2-5-17
撮影:2021年10月24日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
日本再発見 東京を歩く


(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010