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鼠小僧の墓(両国回向院)

記事 NO.7772    彩2021 両国歴史散歩

2021年11月7日訪問
両国回向院(東京都)

鼠小僧次郎吉之墓
盗んだ総額は3412両(約1億4000万円)

両国回向院 鼠小僧の墓

市川団升が狂言の大ヒットのお礼に
明治9年(1876)に供養墓として建てたものです

両国回向院 鼠小僧の墓

鼠小僧は大名屋敷と大金持ち専門の盗人で
盗んだ金は すべて博打に消えてしまいました

両国回向院 鼠小僧の墓

鼠小僧供養墓
「墨田区民俗文化財指定」(平成十四年五月二十九日)

 ※墓石の高さ    一〇〇センチ 幅七一〇センチ 奥行き 五五センチ
 ※台石の高さ     三五センチ 幅一一六センチ 奥行き 七八センチ
 ※石組みの墓壇の高さ 六五センチ 幅一五〇センチ 奥行き一三〇センチ を測る(安山岩製)

碑の正面には「天保二年八月十八日」「俗名 中村次良吉之墓」
「教覚速善居士」「道一書」
 裏面には「大正十五年十二月十五日 建立」
 左側には「永代法養料金 金五拾圓也 細川 仁三」と刻まれている

鼠小僧は寛政九年(一七九七年)生まれの盗賊であり「武江年表」によると 天保三年(一八三二)八月十九日に浅草で処刑されている
「甲子夜話」によれば 武家屋敷にのみ押し入ったため 庶民からは義賊扱いされていると記されている
後に幕末の戯作者 河竹 黙阿弥が 権力者である大名家に自在に侵入し非権力者側である庶民に盗んだ金を配るという虚構の鼠小僧を主人公とした作品を世に送り出したことから人気に火がつき 演劇界においては 現在まで続く当り狂言の一つとなった
明治十二年一月の「朝野新聞」によると歌舞伎の市川一門の一人である 市川 団升が 狂言が当った礼として碑と永代供養料十円の寄付を行うほどの熱の入れようであったと伝えており 施主として刻まれ 墓の横にも石灯籠を寄進している
細川 仁三とは市川 団升のことであるとみる説もある。
文学界においても 芥川 龍之介が「戯作三昧」・「鼠小僧次郎吉」・「復習」と三度題材に取り上げるなどとしており 虚構の鼠小僧の人気は高い
江戸時代 犯罪者には墓を作ることが禁止されていた しかし歌舞伎や狂言での成功によって 祈願対象物としての墓の必要性が生じこの供養碑が作られたと思われる
※他方 供養碑の前にある小さな供養碑は正面に供養墓同様「教覚速善居士」と刻まれているが別名「欠き石」とも呼ばれるものである
鼠小僧の墓石を欠き 財布や袂に入れておけば 金回りが良くなる あるいは持病が治るとも言われ 成就した人々の奉納した欠き石は数年ごとに建て替えられ続け 現在までに数百基にも及んでいるという 発生時期は不明であるが 明治十八年(一八八五年)に初演された 河竹黙阿弥の「四千両小判梅集」には台詞の中で この信仰のことが触れられている
「この供養碑は変貌著しい墨田区と歌舞伎とのかかわりを示す資料でもあり そこには また庶民のささやかな幸福追求の対象物としての価値も含まれる」 (墨田区史より)

両国回向院 鼠小僧の墓
教覚速善居士
天保二年八月十八日
俗名 中村次良吉之墓
道一書

両国回向院 鼠小僧の墓

墓石を削って持っていると
入試に運が強い(どこでもするりと入る)というので
墓は削られて小さくなるたびに 何度もつくりかえられました

現在は 墓の前に削って持ち帰ってもよい石が用意されています

「鼠小僧之墓 こちらの『お前立ち』をお削り下さい」




両国回向院
両国回向院

東京都 墨田区 両国2-8-10
Qrcode両国回向院
(Mapion地図にアクセス)


撮影:2021年11月7日
カメラ:ニコン-Nikon D7500

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