橘千蔭 岩瀬京伝・京山の墓(回向院)/東京都墨田区
記事 NO.7773 彩2021 両国歴史散歩
2021年11月7日訪問
両国回向院(東京都)
橘千蔭 岩瀬京伝・京山の墓
鼠小僧次郎吉の墓の裏

鼠小僧次郎吉の墓の裏側に
草書体の美しい文字で「橘千蔭墓」と陽刻されているのが
歌人・国学者の加藤千蔭のものです
墓碑の「橘千蔭」の文字は本人のものといわれています
文化5年の正月に「橘千蔭」と自筆した紙を
両国の回向院の住持に託しその年の9月2日に没しました


加藤千蔭の墓碑の前には
山東京伝と山東京山の墓碑がならんでいます

△左が兄の山東京伝 中央が弟の山東京山
山東京伝の墓碑

岩瀬醒墓
文化13年(1816)に56歳でなくなりました

岩瀬醒墓の側面

兄の墓は京山が撰文し 墓碑銘も自撰自書しました

兄の墓 向かって右側が弟の京山のものです
岩瀬京山の墓碑

岩瀬百樹之墓
安政5年(1858)に90歳でなくなりました

鼠小僧の墓の後ろには

山東京伝 山東京山
兄弟の墓が並んで建っています
兄弟そろって名前のある番付表があったので載せておきます
作の方 大関 山東京伝 前頭 山東京山

(国立国会図書館ウェブサイトより) 赤丸印加工
両国回向院

東京都 墨田区 両国2-8-10

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2021年11月7日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
日本再発見 東京の史跡を歩く

(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010
2021年11月7日訪問
両国回向院(東京都)
橘千蔭 岩瀬京伝・京山の墓
鼠小僧次郎吉の墓の裏

鼠小僧次郎吉の墓の裏側に
草書体の美しい文字で「橘千蔭墓」と陽刻されているのが
歌人・国学者の加藤千蔭のものです
墓碑の「橘千蔭」の文字は本人のものといわれています
文化5年の正月に「橘千蔭」と自筆した紙を
両国の回向院の住持に託しその年の9月2日に没しました

加藤千蔭墓
江戸中期の国学者、歌人。芳宜園と号し、千蔭は名。耳梨山人、逸楽窩、江翁などども号していた。通称加藤又左衛門といい、能因法師の末裔だどいう。父は江戸の与カとして八丁堀に住み、千蔭は父から歌を学んだ。また賀茂真淵に師事し、のち父の職を継いだ。天明八年(一七八八)病気のため職を辞し、学問研究に専念した。老境に人っていよいよ研さんを積み、著書は世に千蔭本ど呼ばれて流布した。博識をもって世に知られ、かつ著書「万葉解」は高く評価されて幕府から賞されたという。また、絵を建部綾足に学び人びどは争ってこれを求めたという。文化五年(一八〇八)九月ニ日歿。年七十五。著書には「万葉集略解」「万葉新採百首」「香取日記」その他多い。
昭和六十二年三月二十日建設 東京都教育委員会

加藤千蔭の墓碑の前には
山東京伝と山東京山の墓碑がならんでいます

△左が兄の山東京伝 中央が弟の山東京山
山東京伝の墓碑

岩瀬醒墓
文化13年(1816)に56歳でなくなりました

岩瀬京伝墓
江戸時代の著名な戯作者。名は醒、字は酉星。京橋南伝馬町に住んでいたため号を京伝とし、愛宕山の東に当ることにちなんで山東といった。彼は深川木場の質屋に生まれ、若くして浮世絵を北尾重政に学び、北尾政演の名で黄表紙のさし絵などを描いた。「御存商売物」が蜀山人に認められ、「江戸生艶気樺焼」によって一躍黄表紙作家として広く知られるようになった。さらに「令子洞房」で洒落本作家としての地歩を築いたが寛政三年(一七九一)風俗を乱すものとして手鎖五十日の刑に処せられ、以後読本作家に転じた。著書には「仕懸文庫」「孔子縞于時藍染」「心学早染草」「傾城買四十八手」「近世寺跡考」「骨董集」その他多い。文化十三年(一八一六)九月七日歿。年五十七。
昭和六十二年三月二十日建設 東京都教育委員会
岩瀬醒墓の側面

兄の墓は京山が撰文し 墓碑銘も自撰自書しました

兄の墓 向かって右側が弟の京山のものです
岩瀬京山の墓碑

岩瀬百樹之墓
安政5年(1858)に90歳でなくなりました

岩瀬京山墓
江戸時代の著名な戯作者である山東京伝の弟で同じく戯作者である。名を百樹といい、字を鉄梅といった。鉄筆堂は号で、通称は利一郎、のち京山と改めた。はじめ篠山侯に仕え、のちこれを辞して、兄京伝の業を継ぎ、やがて剃髪して凉仙と号した。著書には「稗史小説」「蜘蛛の糸巻」その他がある。安政五年(一八五八)九月二十四日流行病コロリ(コレラ)にかかって歿した。
なお、兄京伝の墓を建てたのは京山である。方半居士、覧山の別号がある。
昭和六十二年三月二十日建設 東京都教育委員会
鼠小僧の墓の後ろには

山東京伝 山東京山
兄弟の墓が並んで建っています
兄弟そろって名前のある番付表があったので載せておきます
作の方 大関 山東京伝 前頭 山東京山

(国立国会図書館ウェブサイトより) 赤丸印加工
両国回向院

東京都 墨田区 両国2-8-10

(Mapion地図にアクセス)
撮影:2021年11月7日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
日本再発見 東京の史跡を歩く


(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010