木場洲崎神社の力石など
記事 NO.7791 彩2021 深川散歩
2021年11月20日訪問
木場洲崎神社(東京都)
洲崎の力石
石碑 力石 玉の輿

木場の洲崎神社の拝殿左側には
力石があります
中心にある石碑は何の碑でしょうか?
判読できません

謎の石碑の周りには力石が5基(▽赤矢印)

△青矢印も力石かもしれません?

△1と2の力石です

1の力石には「龍」のような文字が確認できます

2の力石には「助」の文字

3の力石には「虎子石」

4の力石は破損していますが 文字がたくさん刻まれています

「幸助」や「助」の文字
下部には「世話人」も確認できます

かなり傷んでいますが
歴史を刻む 貴重な石です
他に「名人竿忠之碑」「波除碑」などがあります

<名人竿忠之碑 蘇峰正敬書>
昭和49年再建 徳富蘇峰揮毫
4代目「竿忠」の店が荒川区南千住の「竿忠つり具店」です

「名人竿忠之碑」の脇には「津波警告の碑」「波除碑」があります


<波除碑碑>


<津波警告の碑>
玉の御影石もあります

2019年8月3日に除幕式が行われた
「玉の輿たまちゃん」です
男女の縁 親子の縁 仕事の縁など
様々な縁を結ぶマスコットです
州崎神社神社御由緒

木場洲崎神社

東京都 江東区 木場6-13-13
撮影:2021年11月20日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
日本再発見 東京の史跡を歩く

(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010
2021年11月20日訪問
木場洲崎神社(東京都)
洲崎の力石
石碑 力石 玉の輿

木場の洲崎神社の拝殿左側には
力石があります
中心にある石碑は何の碑でしょうか?
判読できません

謎の石碑の周りには力石が5基(▽赤矢印)

△青矢印も力石かもしれません?

△1と2の力石です

1の力石には「龍」のような文字が確認できます

2の力石には「助」の文字

3の力石には「虎子石」

4の力石は破損していますが 文字がたくさん刻まれています

「幸助」や「助」の文字
下部には「世話人」も確認できます

かなり傷んでいますが
歴史を刻む 貴重な石です
他に「名人竿忠之碑」「波除碑」などがあります

<名人竿忠之碑 蘇峰正敬書>
昭和49年再建 徳富蘇峰揮毫
4代目「竿忠」の店が荒川区南千住の「竿忠つり具店」です

「名人竿忠之碑」の脇には「津波警告の碑」「波除碑」があります

東京都指定有形文化財(歴史資料)波除碑(なみよけひ) 所在地 江東区木場六の十三の十三
指定 大正十三年二月五日 府仮指定
寛政三年(一七九一)、深川洲崎一帯に襲来した高潮により、付近の家屋がことごとく流されて多数の死者・行方不明者が出た。幕府はこの災害を重視し、洲崎弁天社から西方一帯を買い上げて空地とした。その広さは東西二八五間余、南北三〇間余、総坪数五四六七坪余(約一万八千㎡)に及んだ。そして空地の両端の北側地点に、波除碑を二基建立した。建設は寛政六年頃で、当時の碑は地上六尺、角一尺であったという。
現在は二基ともかなり破損しており、特に平久橋碑は上部約三分の二を失っています。碑文は屋代弘賢と言われているが、二基ともほとんど判読不能である。『東京市史稿』によれば、「葛飾郡永代浦築地 此所寛政三年波あれの時家流れ人死するもの少からす此後高なみの変はかりかたく流死の難なしといふへからす是によりて西は入船町を限り 東ハ吉祥寺前に至るまて 凡長二百八十五間余の所 家屋とり払ひあき地になしをかるゝもの也 寛政甲寅十二月日」と記されていたという。
材質は砂岩で、総高は平久橋碑が一三〇・八cm、洲崎神社碑が一六〇・一cm。現在の位置は、旧地点を若干移動しているものと思われる。江戸時代の人々と災害の関係を考える上で重要な資料である。
平成二三年三月 建設 東京都教育委員会

<波除碑碑>

波除碑
由来
寛政3年(1791)9月3日に大雨が降り始め、翌日、深川洲崎一帯に襲来した高潮によって弁天社を始め、その付近の家屋がことごとく流されて多数の死者・行方不明者が出ました。幕府はこの災害を重視して洲崎弁天社から西の5,467余坪を買い上げて空地とし、家作を禁じて後の水害に備えるこことし、さらに同6年(1794)12月、空地東西の北端に波除碑2基を建て、見通しの標としました。

<津波警告の碑>
玉の御影石もあります

玉の輿たまちゃん
「由来」
五代表軍・徳川綱吉公の生母桂昌院(幼名=お玉)は八百屋の娘から武士の養女・公家出身の尼僧の侍女へそして将軍家光の側室にまで上り、立身出世した事から、桂昌院が「玉の輿」の語源・代名詞となったことが頷けます。
当社は一七○○年に桂昌院が建立したのが始まりです。
須崎神社々務所
2019年8月3日に除幕式が行われた
「玉の輿たまちゃん」です
男女の縁 親子の縁 仕事の縁など
様々な縁を結ぶマスコットです
州崎神社神社御由緒

州崎神社神社由緒
当州崎神社神社は元弁天社と称し巌島神社の御分霊祭神市杵島比売命を斉祀しております。創立は徳川五大将軍綱吉公の生母桂昌院の守り神として崇敬するところとなり、元禄十三年、江戸城中、紅葉山より此の地に遷して宮居を建立してより代々徳川家の守護神となっていた。当時は海岸にして絶景、殊に弥生の潮時には城下の貴賎袖を連ねて真砂の蛤を捜り楼船を浮べて、妓婦の絃歌に興を催すとあり、文人墨客杖を引くという絶佳な所であったという。浮弁天の名の如く海中の島に祀られてありました。
明治五年御由緒により村社に列せられ世間より崇敬厚かった。大正の震災、昭和の戦災に社殿は焼失されたが弘法大師作の御神体は幸にして難を免れ、当時は仮社殿に奉斉して居りましたが昭和四十三年現在の社殿を造営し斉祀して現在に至っております。
木場洲崎神社

東京都 江東区 木場6-13-13
撮影:2021年11月20日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
日本再発見 東京の史跡を歩く


(C)heihei's studio 2010
へいへいのスタジオ2010