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上尾歴史散歩「平方河岸」

記事 NO.7809     彩2022 平方の歴史を伝える

2022年1月13日訪問
平方(上尾市)

平方河岸と町並み
河岸で栄えた平方

平方河岸と町並み

平方河岸の歴史やその周辺の文化財について
まとめた案内板が橘神社の入口にあります

詳しくみていきましょう

平方河岸と町並み 平方河岸の成り立ち

平方河岸の成り立ち

 「河岸」とは船着場を指し、船による物資の輸送が盛んだった時代に、積み荷の上げ下ろしが行われた場所であった。平方河岸も、荒川の中流域にあたる平方に設置された河岸で、対岸は川越の老袋である。ここは岩槻や原市方面から川越方面へ渡るための渡船場もある交通の要衝であった。
 平方河岸の歴史は古く、記録から江戸時代初期にあたる寛永一五(1638)年以前には成立していたと考えられている。また、平方河岸の舟運を利用した積み出しの最も古い記録である『年貢請取証文』(島村家所蔵大和田村文書)には、天和二(1682)年に平方河岸の問屋・甚五兵衛が大和田村(さいたま市)からの物資を、平方から江戸に送っていたと記されている。このように平方河岸は、江戸へ物資を輸送する集荷先として、平方だけでなく、その周辺の村々からも広く利用されていた。


平方河岸と町並み 河岸の賑わい

河岸の賑わい

 江戸時代後期に記された平方村の記述によると、船の数は常に9艘と定められ、荒川を通る船が集まる所として、既に賑わっていたとある。年貢の他に穀類や醤油、酒などの商品も上げ下ろしされ、上尾や桶川で盛んだった紅花の輸送も、陸送よりも安価だった舟運が多く利用された。
 明治初めには船は18艘まで増え、6軒の船積問屋が活動していた。明治から大正にかけては、下宿・上宿の町場化がより進んだ時期であり、A銀行B煉瓦工場C醸造所をはじめとした、様々な工場や店舗が並んでいた。明治二〇(1887)年には、荒川流域の河岸場で最大の繁栄を誇っていた戸田河岸を上回る取引額を記録している。
 昭和期に移ると、鉄道やトラックによる陸上輸送の発達などにより、舟運のための河岸場は終焉を迎えるるが、河岸が長きにわたり周辺地域に与えた影響は大きく、現代の町並みにもその名残を見ることができる。


平方河岸と町並み 地図部分 観音堂

地図の下方には観音堂が確認できます

平方河岸と町並み 昭和初年 地図

河岸場付近の様子が細かく記されています


平方河岸と町並み 昭和初年 地図 部分

当時の河岸の賑わいの様子が伝わってきます


貴重な平方の遺産が時に埋もれる事なく
次世代へ伝わっていくことでしょう

「力石」についての説明がないのが ちょっと残念でした





撮影:2022年1月13日
カメラ:ニコン-Nikon D7500


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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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