史跡訪問 小山朝政の墓
記事 NO.7876 彩2022 歴史探訪 鎌倉時代
2022年4月28日訪問
小山朝政の墓(加須市)
史跡 小山朝政墓
平安時代末期~鎌倉時代初期の武将

小山朝政
鎌倉幕府を支えた小山三兄弟の長男


朝政は 源頼朝に秀郷流の流鏑馬を伝えるなど武勇に優れ
小山氏永続の基盤をつくりました

2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では
俳優の中村敦さんが小山朝政を演じています

「小山朝政の墓」の前
切株の根元にある石が気になります

力石のようにも見えますが 文字が刻まれていません

この石にはどんな物語が潜んでいるのか
想像するだけでもワクワクする謎の石です
小山朝政の墓

埼玉県加須市大越1991
撮影:2022年4月28日
カメラ:ニコン-Nikon D7500

2022年4月28日訪問
小山朝政の墓(加須市)
平安時代末期~鎌倉時代初期の武将

小山朝政
鎌倉幕府を支えた小山三兄弟の長男

加須市指定史跡小山朝政の墓 (おやまともまさのはか)
昭和三八年九月 指定
小山氏は、中世下野の藤原秀郷(俵藤太秀郷)の子孫といわれている。保元三(一一五八)年頃に太田政光の子として生まれる。父は武蔵国の太田氏の出であり、下野国小山に移住して小山氏を名乗る。朝政は源頼朝に従い関東の平定、一ノ谷合戦、奥州の合戦などの勲功により下野守護、播磨守護を兼ねる。
朝政は、暦仁元(一二三八)年三月八四才で没した。
小山朝政の墓は高さ一四六センチメートル幅四五センチメートルの宝篋印塔で塔身に梵字でキリーク(阿弥陀如来)を刻んでいる。基礎には貞和元(一三四五)年の銘がある。朝政の没年と宝篋印塔の年号からすると墓というより供養塔の可能性が高い。
南西一〇〇メートルにある徳性寺は、朝政の開基によるといわれている。
平成二四年三月 加須市教育委員会

朝政は 源頼朝に秀郷流の流鏑馬を伝えるなど武勇に優れ
小山氏永続の基盤をつくりました

2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では
俳優の中村敦さんが小山朝政を演じています

「小山朝政の墓」の前
切株の根元にある石が気になります

力石のようにも見えますが 文字が刻まれていません

この石にはどんな物語が潜んでいるのか
想像するだけでもワクワクする謎の石です
小山朝政の墓

埼玉県加須市大越1991
撮影:2022年4月28日
カメラ:ニコン-Nikon D7500

