流山の史跡 新選組流山本陣跡
記事 NO.7919 彩2022 歴史散歩 幕末の話題
2022年8月14日訪問
近藤勇陣屋跡(流山市)
新選組陣屋跡
近藤勇と土方歳三の今生の別れの場所

流山駅の奥(東口)に流山市役所が見えます
かつて飛地山であったところです

高台は現在 切り崩され
市役所となり 南側は宅地開発が行われようとしています
この高台は戊辰戦争の時に
新政府軍が新選組本陣に向けて大砲を設置したところ
新選組の歩兵隊が その新政府軍に向けて大砲を撃ったところ
と いわれています
ここから 新選組陣屋跡に向かいます
東口と西口を結ぶ歩道橋の西口の南側を下り
一方通行の道を西へ1分ほど進むと
▽案内板があります


さらに西へ2分ほど進むと

近藤勇陣屋跡があります

3月中旬に永倉新八や原田佐之助らが脱退し
六十余名となった新選組は
五兵衛新田(足立区西綾瀬)の金子邸に屯集

歩兵などを取り込み下総鎮撫隊を組織して
4月1日夜に二百数十名が流山へ転陣してきました


「丹後の渡し」から流山に入った下総鎮撫隊は
醸造家の永岡三郎兵衛方を本陣とし
光明院などに分宿しました
情報を得た新政府軍が3日に「羽口の渡し」から急襲し
銃撃を交えたが本陣は包囲されました

大久保は出頭して「矢河原(やっから)の渡し」から流山を去り
事情説明のため越谷宿(埼玉県越谷市)に赴きましたが
新政府軍により板橋宿へ連行されました

土方は江戸で勝海舟らに救出工作を試みましたが
近藤は4月25日に板橋宿で処刑 梟首されました
この場所は 新撰組
局長 近藤勇 副長 土方歳三
別離の地として 現在に歴史を伝えています
近藤勇陣屋跡の敷地内には
近藤勇 土方歳三らが戦勝祈願をしたと伝わる
秋元稲荷大明神が鎮座しています


流山市 近藤勇陣屋跡

千葉県 流山市
撮影:2022年8月14日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
日本再発見 流山散歩2

2022年8月14日訪問
近藤勇陣屋跡(流山市)
新選組陣屋跡
近藤勇と土方歳三の今生の別れの場所

流山駅の奥(東口)に流山市役所が見えます
かつて飛地山であったところです

高台は現在 切り崩され
市役所となり 南側は宅地開発が行われようとしています
この高台は戊辰戦争の時に
新政府軍が新選組本陣に向けて大砲を設置したところ
新選組の歩兵隊が その新政府軍に向けて大砲を撃ったところ
と いわれています
ここから 新選組陣屋跡に向かいます
東口と西口を結ぶ歩道橋の西口の南側を下り
一方通行の道を西へ1分ほど進むと
▽案内板があります


さらに西へ2分ほど進むと

近藤勇陣屋跡があります

3月中旬に永倉新八や原田佐之助らが脱退し
六十余名となった新選組は
五兵衛新田(足立区西綾瀬)の金子邸に屯集

歩兵などを取り込み下総鎮撫隊を組織して
4月1日夜に二百数十名が流山へ転陣してきました

近藤勇陣屋跡
文久三年春以来京師にあって勇名を馳せた新撰組は慶応四年正月鳥羽 伏見の一戦に敗れて江戸に帰り新たに甲陽鎮撫隊を結成、同三月甲州路勝沼に出陣して官軍と交戦、これまた敗れて総州流山に再挙をはかった。
当時の流山は水陸交通の要衝 醸造業の地として知られ、各種問屋、船宿、旅籠等軒をつらね本多氏下総領管理の「加村役所」も加村台にあってその繁栄は近隣に比すべきものがなかった。ために 江戸を脱出した幕兵のこの地を慕って屯集する者、また数を知らなかった。
甲陽鎮撫隊は三月二十日ごろ流山に入り、酒造家長岡屋(当所)を本陣とした。日増しに傘下に加わる同志隊員を諸家に分宿させ、旬日にしてすでに一大勢力となっていた模様である。
一方、官軍においては、その東山道軍先鋒隊の一部が結城方面の鎮圧に向かう途次、この風聞を耳にした。直ちに香川敬三指揮する一隊流山に来攻、策を以て隊長近藤勇(大久保大和と変名)を誘い 縛に就かした。時に慶応四年四月三日の夕刻である。
一説に、近藤は、兵災の郷民に及ぶことを憂い、みずから敵手に身をゆだねて 決戦を避けたという。
老松古椎に往時を偲んでここに遺跡の石碑を建てる。
昭和五十一年三月 流山市観光協会

「丹後の渡し」から流山に入った下総鎮撫隊は
醸造家の永岡三郎兵衛方を本陣とし
光明院などに分宿しました
情報を得た新政府軍が3日に「羽口の渡し」から急襲し
銃撃を交えたが本陣は包囲されました

大久保は出頭して「矢河原(やっから)の渡し」から流山を去り
事情説明のため越谷宿(埼玉県越谷市)に赴きましたが
新政府軍により板橋宿へ連行されました

土方は江戸で勝海舟らに救出工作を試みましたが
近藤は4月25日に板橋宿で処刑 梟首されました
この場所は 新撰組
局長 近藤勇 副長 土方歳三
別離の地として 現在に歴史を伝えています
近藤勇陣屋跡の敷地内には
近藤勇 土方歳三らが戦勝祈願をしたと伝わる
秋元稲荷大明神が鎮座しています


秋元稲荷大明神
徳川十一代家斉将軍在位時代 享和二年(一八〇二)八月 天領地に京都伏見稲荷大社より分社建立
慶応四年(一八六八)四月二日当時の酒造業永岡屋を本陣とし新選組が到着陣立ての際近藤勇 土方歳三らが戦勝祈願をしたと伝わる
平成二十四年三月二十日 当主 秋元浩司
流山市 近藤勇陣屋跡

千葉県 流山市
撮影:2022年8月14日
カメラ:ニコン-Nikon D7500
日本再発見 流山散歩2

